mixiユーザー(id:12569023)

2015年12月25日10:22

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人生意気に感ず「世界津波の日に。安政南海地震とは。司法試験に泥を塗った罪」

◇11月5日が「世界津波の日」に決まった。国連総会は、日本提出の決議案を採決した。津波に関する啓発運動と津波対策が国連の場で議論されることになる。津波は、地球自体の出来事であるから全世界が注目する必要がある。「世界津波の日」が設けられたことにより、日本やチリ等、いつも津波に襲われる国以外も全ての国が津波に注目することになる。津波の研究、助け合いも地球規模で行いやすくなる。災害に関し、世界は一つよいう気運が作られることは重要なことである。
◇国連の採決は、日本にとっては、確実に近づいている巨大地震と巨大津波への関心を高める契機となる。11月5日は、日本では「津波防災の日」。地震の歴史を振り返ると興味深い日である。安政南海地震が発生した日なのだ。「11月5日」は、「稲村の火」にちなむという。濱口梧陵が高台の稲に火を放ち人々を引き寄せ津波から救った故事。昔の「小学国語教本」にあった。今、新たな大災害の時代に際し、この故事の復活と、「3・11」に関する新たな教材を作るべきだ。国連の「津波の日」はその好機ではないか。
◇安政南海地震に、私は格別の思いを抱く。1854年安政元年には、M8.4の安政東海地震が発生し、その32時間後に、やはりM8.4のこの安政南海地震が発生した。現在恐れられているのは、この連動型の巨大地震とそれに伴う巨大津波である。安政元年は日本にとり、実にホットな年で前年に続いてペリーが来航し3月、日米和親条約が結ばれた。安政南海地震はペリーが去った後のこの年の年末のこと。この時、ロシアのディアナ号が遭遇して船は大破し日本人はこれを助けた。吉田松陰がペリーの黒船に乗り込んだのはこの年3月28日であった。なお、楫取素彦は前年(1853)、萩に帰り、松陰の妹寿と結婚している。1859年松陰は安政の大獄に連座して死ぬ。30歳だった。
◇司法試験の問題を教え子の女に漏らした教授に執行猶予の判決が下った。この欄でも取り上げた事件。守秘義務違反として、国家公務員法違反に問われた。東京地裁は「交際していた女性を合格させるため」犯行に及んだと指摘して懲役1年執行猶予5年と判示。私は事件の本質を考えたら軽すぎると思う。司法試験の根幹を傷つける犯罪に執行猶予とは。失職など社会的制裁を受けていることを挙げているが、納得できない。他の事件と比べての刑の公平性ということは問題とならないのか。(読者に感謝)

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