昭和31年に91歳で亡くなった、鎌倉建長寺の名僧、菅原時保(すがわらじほ)老師は
〃今良寛〃と言われていました。
小さい時に、寺にもらわれて育ち、9歳で檀家の葬式にお経をあげに行かされていたそうです。
お百姓さんが亡くなった時、お経をあげていたら、おかみさんが私にご飯を進ぜようとして台所に行きました。
台所では赤ちゃんがハイハイしていました。
おしゃもじを舐めたりして遊んでいました。
やがておしゃもじを投げて、泣き出しおしっこを垂れて、床が水浸しになりおしゃもじが小便にひたっていました。
私は横目で気にしながらお経をあげていました。
やがて、ご飯が炊き上がりおかみさんが、
そのしゃもじを持って釜からおひつにご飯を移し始めました。
こねている間に、おかみさんは風邪を引いているのか、鼻水をご飯に落としている。
〃こりゃぁえらいこっちゃ〃
わしはお経をあげながら気が気でなかった。
お経が終わると
「お小僧さんにお経をあげてもらって、とおちゃんどんなによろこんだろう。
さあ何もないけど、
ご飯だけはあるから」
とすすめられたが、
お腹の具合が悪いと
断ってほうほうのていで退出した。
それから、七日たってまた、お経をあげに行きました。
赤ちゃんは昼寝、
おかみさんの風邪は治っている。
よし、今日はたらふく食べるぞ。
お経が終わったら、
おかみさんが甘酒を持ってきてくれた。
美味しいので、
何杯もおかわりした。
「お小僧さんあの時のご飯を仕込んで
甘酒を作ったのよ」と
聞かされた。
うぇ!
吐き出しそうになったが、あとのまつり。
「頂戴しなくてはならないものは、
頂戴しなくちゃならんように出来てるんだよ」
といったそうだ。
そんなエピソードがたくさんあるようです。
建長寺は学生時代、
縁側で昼寝していた
思い出があるから、
懐かしいです。
今日の佳き日に
合掌
ログインしてコメントを確認・投稿する