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2014年12月10日10:11

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【展覧会】ジョルジョ・デ・キリコ展(パナソニック汐留ミュージアム)

回顧展は一般的には、初期→中期→晩年という構成で、スタイルの模索・確立から円熟期の傑作を経て最終的にどのような境地に向かったかを見ることができるようになっている。
ところが、今回のキリコ展はその一般論が通用しない。レベルが統一されていて技術力向上の経過が見出せない。いかにもキリコな形而上絵画から始まり、古典的モチーフへの回帰、そして再び形而上絵画へという変遷からは、他からの影響の消化吸収が分かりにくい。「これがこの展覧会の目玉です!」と言えるような大型あるいは素人目にも分かるような突出した傑作がない。成長を示す矢印は初期から晩年に向かって多少なりとも右肩上がりになっていくものだが、キリコの場合は円を描いて元に戻っている感じがする。
つまり、キリコの技術は初期の段階からすでに完成されていた。作品イメージも変化せず、他から影響を受けるというよりも、すでに内在しているものを繰り返している。
「天才的」というよりも「運命的」。「こうしてキリコになった」のではなく、彼は最初からキリコだったのではないか、と思った。

キリコの絵には古代神殿やその遺構のようなものが頻繁に描かれる。ギリシャの青い海と白い建造物が子供時代をそこで過ごしたキリコに強い印象を与えたことがうかがえる。
形而上絵画に多く登場するアーケードのある広場は具体的な都市が当てはまるわけではないようだ。彼の経験や何らかの印象のもとに作り上げられているのだろう。
そのほか、マネキンや馬など、生涯を通じて描き続けたこれらの景色やアイテムはキリコにとっての美しい思い出なのだろうか、それともトラウマなのだろうか。

形而上絵画以外の作品に出会えるのは回顧展の大きな魅力。非常に写実的な静物画「林檎と葡萄のある静物」、カナレットの模写かと思った「ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ」、ユトリロを連想する「ノートルダム」、ダ・ヴィンチ的な遠景が素敵な「秋」などは興味深い作品。子どもの落書きチックな水彩「幻想的な素描」もかわいらしい。
シュルレアリスム的な側面が強調されがちだが、古典的なイメージを持つ作品を見ることで彼の新たな側面を知ることができた。
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