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2009年04月06日03:16

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○○人になること

今日も、NHKの「プロジェクトJAPAN」を見た。

開国から150年の日本の軌跡を負う連続ドキュメンタリーである。

今回は、日本の台湾統治の話。

ドキュメンタリーの内容とはちょっと外れるのだけど、「台湾人」というアイデンティティの複雑さを垣間みせられて、ちょっと考えさせられた。

通常、我々は世界の人びとを、「日本人」とか「中国人」といった民族に分けて考える。

中には「アメリカ人」みたいな民族に基づかないアイデンティティもあるのだけど、ほとんどの国は「○○人」と自称する民族からなっていると思っている。

これが西欧列強や日本の帝国主義支配のもとでは国家の国境が民族の境界線と乖離してしまうのだが、この異民族支配を民族運動により覆し独立を得たのが現在の国際社会。

現在でも、植民地の国境を受け継いだ多民族国家では、民族間の抗争により国家が分裂の危機にさらされていると言われる。

言ってみれば、民族というのは近代国際関係以前から存在していて、国家による恣意的な国境策定にある種の制約を課しているのだ。

こんな考えを、民族の始源主義と呼んだりする。

民族性というのは長い歴史の中で培われてきたものであり、国家の都合なんかでそう簡単には変えることはできないという考えである。

だから、安定した国家を創るためには、ひとつの民族を単位にしないとならないということになる。

でも、「台湾人」というカテゴリーは、こんな始原主義では説明しきれない。

現在では台湾に住む人たちの多くは原住民と漢民族の末裔となのであるが、50年間日本の統治下にあった。

しかも、戦後には大陸から国民党が入ってきて、「日本化」されていた「本省人」に厳しい弾圧を加える。

「台湾人」というのは、この「原住民」、「本省人」、そして本土からやってきた「外省人」の不安定な関係を孕むアイデンティティなのだ。

日本との関係に限って言えば、次のような感じである

親日的だと言われる台湾では、今日でも日本語を流暢に話す人たちも多い。

これは日本統治下で日本の教育を受けた人たち。

アジアでの「一等国」を目差す日本は、近代日本にとって初めての植民地である台湾を西欧列強にその統治能力を証明する試金石と位置づけ、その「経営」に力を注ぐ。

その後多様な民族を抱える帝国となる日本にとっては、異民族が住む台湾が後の植民地経営の一つのモデルともなったのだ。

日清戦争により日本に領有された台湾の住民は、一応「天皇の臣民」とされるのだが、当初は日本人と台湾人では法的にも教育上も隔離される「二重構造」による統治が打ち立てられる。

でも、日中戦争が勃発すると、日本政府は台湾住民を取り込むためにいわゆる「皇民化」政策に転じる。

台湾の人びとに日本の言語、姓名、宗教、文化なんかを押し付けて、「日本人」化しようとするのだ(これを専門用語では「同化」という)。

今日でも日本語を流暢に話す台湾人というのは、この「皇民化」の時代に教育を受けた人たちである(朝鮮と違って、台湾の場合は一定の基準を満たした人のみを対象とした選択的な同化であったらしいが)。

終戦まで「日本人」として教育を受けたかれらは、「日本人」になることがいいことだと信じていたのだし、現在でも言語のみならず自分たちの思考様式まで「日本人」であることを認める。

でも、かれらの日本に対する態度はかなり屈折したものがある。

植民地時代に差別を受けたことを恨みに思っているし、終戦後に命を賭してまで尽くした日本に「捨てられた」と感じている。

かれらの世代の憤りを聞いていると、自らの意志に反して日本の統治下に組み込まれたことではなく、日本人になりたかったのにそれを認めてもらえなかったことに対する怒りというのがあるようだ。

日本の同化政策が中途半端に終わったのは、台湾人が民族意識から抵抗したというより、日本人が台湾人を完全に日本人にすることを嫌って、差別を続けたからなのである。

「台湾人」のアイデンティティが始めからあったのではなく、日本による差別を受けて、「我々は日本人とは違う何か=台湾人」ということにならざるをえなかったのである(これに戦後は「中国人とも違う何か」という意味が追加される)。

ということは、民族性というのは、国家が教育を通じて結構簡単に変えられるということになる。

でも、そうであれば、植民地の住民を帝国に統合したかった日本は、何故「日本人」になりたい人びとさえも差別しつづけたのだろう。

そこに統合と排除の論理が同時に働く近代国家の逆説があると思う。

通常、国民とか民族というものは同質的で平等なものだと考えられている。

でも、現実には「国民」や「民族」からなる社会には「勝ち組」と「負け組」がいる。

金持ち対貧乏人、中央対地方、都市対農村、エリート対大衆、なんていった対立軸だ。

そんなバラバラの人たちをみんなひっくるめて「我々はみんな日本人だ」と言うためには、「日本人ではないもの」が必要になる。

つまり「絶対的な他者(どんなに頑張っても我々と同じになれない人たち)」を作り出すことによってしか、「日本人は皆同じ」という虚構に現実味を持たせることができないのだ。

タテマエとしては、近代国家は能力主義であり、生まれ育ちに関わらず、実績をあげた者が「勝ち組」になり、あげられなかった者は「負け組」になる。

我々が平等だと言えるのは、通常この「機会の平等」に関してである。

でも、現実には、「勝ち組」の人たちは自分たちの成果を仲間や子孫に特権として残すべく、様々な手段を使って社会的流動性に歯止めをかけようとする。

しかも、国家の安定というのは、こうした「勝ち組」の保守性に負うところが大きい。

だから、「負け組」の人たちが社会的階層のはしごを上るのは容易ではない。

でも、そうした「負け組」の人たちを放っておくと、権力者たちを脅かす存在になりかねない。

近代国家の逆説というのは、伝統的な身分制や共同体を破壊するために平等な「市民」や「国民」を作り出さなければならないのだが、同時に権力構造を安定させるために社会の不平等を維持し再生産しなければならないという点なのだ。

こんな矛盾を抱えた近代国家をどのように統合できるのか?

ここで、先の「絶対的他者」というのが重要になってくる。

自分たちの下に劣った「他者」のカテゴリーを創り、かれらを「永遠の負け組」とすることにより、少なくともかれらとの関係では「勝ち組」の立場を特権として享受できるのである。

そして、悲しいかな、「永遠の負け組」である「絶対的他者」を誰よりも必要とするのは、自らも「負け組」な人たちなのである。

そういうわけで、近代国家による社会統合というのは、国境を越えた重層的な勝ち組=負け組の階層から成り立っている。

まず国民国家のなかで「勝ち組」と「負け組」がいる。

この「負け組」が自分たちの下にさらに「負け組」を作り上げていくし、「勝ち組」もこの「負け組」の劣等感を利用する。

この連鎖反応の中で、中途半端に同化されつつ差別し続けられる人たちが作り出され、その民族意識を「覚醒」させる。

でも、その民族意識というのは長いこと遺伝子の中に眠っていた始源的なものではない。

「民族性」と呼ばれるものは、常に抽象化された観念的なものである。

今日の我々のように、コスモポリタンな世界に中途半端に統合されつつ差別を受けていると感じている人びとが頭で考えだした、抽象的で美化されたものなのである。

「日本人」になるということは、実は「アイヌ人」、「琉球人」、「部落民」、「朝鮮人」、「台湾人」、「中国人」などの「他者」を作り上げて国家のシステムに統合しながら、同時に永遠の「負け組」として社会的に排除することであった。

そうして「負け組」の烙印を押された人たちの中から、自分の「民族」の地位を向上させることによって「勝ち組」になろうとする人たちが民族運動の指導者となる。

でも、それは同時に「勝ち組」によりつくられたカテゴリーを再生産させることであり、また、往々にして、自らの民族内に理想化された民族性に合致する「勝ち組」とそうではない「負け組」の階層を生じさせていくことにもなるのである。
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