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またもや日本の平和ボケか。こんなことをやっているようでは、日本の国際的地位も低下する一方だな。という結論をこの判決から引き出すのは短絡的だと思う。
裁判所の意見は別に日本が軍事貢献をすべきではないということではない。現行の憲法においては、現在行われているような形でのイラクへの派遣は違憲であると言っているだけである。
イラク戦争の正統性自体が国際社会で問われており、また自衛隊のイラク派遣の国内での合憲性に疑問がある以上、賛否両論あるのは当然である。でも、日本が新しい国際秩序の中でいかに貢献を行っていくかという大きな問いに対しては、この判決は何も答えを与えてくれない(裁判所がそんなことできる訳もない)。
こんなことを書いていると、右翼だの軍国主義者だのと思われるかもしれないが、私自身は平和主義というのを日本の自己理解の一部にして、一国平和主義を越えて国際貢献のあり方の中心に据えていくべきだと思っている。
でも、それをするためには、憲法改正の議論自体を危険だということで封じ込めてしまうのではなく、第9条の改正の可能性も最初から排除せずに、幅広く今後の日本の国際貢献のあり方の議論を行っていくべきだと思う。
仮に軍事的貢献が国際貢献のメニューから排除されたとしても、それで全てが収まる訳ではない。政府の財政が火の車の中、少ない財源を使っていかに効果的な貢献を行っていくのかという問いは丸ごと残る。
そもそも憲法が軍隊の海外派遣を禁じているのは、日本人が海外の紛争の犠牲になるのを防ぐという理由ではない。国家が軍隊を海外に派遣して自国民や他国民を犠牲にするような侵略戦争を防ごうと言うのが趣旨である。
でも、軍隊を派遣しなくても、国際貢献というのは時に危険を伴うものである。実際に現在でも多くの日本人が海外の危険な地域で協力活動を行っているし、ペルーやキルギスタンでの事件のように命を落とした人たちも沢山いる。
でも、多くの人たちが、政府や国民のしっかりとした後ろ盾があれば、例え危険な地域でも日の丸を背負って国際貢献をしにいく覚悟がある。
軍隊を派遣できないと、他の国が自国民を危険に晒して貢献しているのを横目に日本は「血を流す」貢献ができないので、国際社会での日本の地位が低下するなんて言う前に、もう少し独創的な貢献の仕方を考えることはできないのだろうか。
平和的貢献というのは、自分たちが血を流さなくてよい貢献という訳ではない。平和のためだったら身を賭してもよいという覚悟が一般の市民の間にもなければ成し遂げられるものではない。
そう言う意味では、プロの自衛官を送り込むだけの軍事的貢献よりも重い決断が必要なものであると思うし、「人類愛」と「愛国心」の双方を兼ね備えていないと、とてもできるものではないと思う。
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