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2024年04月23日17:59

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月1の横浜

 先週の土曜日20日、市民運動の定例会議に出るため、横浜へ出向く。
 横浜駅到着は午後3時半、会議まで1時間半。毎回の決まり事になっている珈琲豆屋さんにまず寄って、事前に予約をしておいた低ローストの豆を1300グラム購入。
 これも定番コースの有隣堂を訪ねた。会議の時間までぴったり1時間あるのでゆっくりと本を見られる。
 先々週の金曜日、武田砂鉄さんMCのラジオ「プレ金ナイト」に村山由佳がゲスト出演した。3月新刊の『私たちの近現代史〜女性とマイノリティの100年』を武田さんが訊くスタイルで紹介されていたので、絶対に書店で買う、と受け止めた。で、その翌日、近所の書店2軒を回ったのだが、なにしろ田舎のしょぼい本屋だ。メジャーな集英社新書なのに、両店とも入荷してなかった。ラジオで著者が宣伝したら本は売れる、という図式に少しでも貢献したかっただけに残念だった。
 さすがに有隣堂にはありました! 今日は大事な会議だけど、わたし的には自分好みの珈琲と誠実な執筆姿勢を貫く村山由佳の本を手に入れることができたほうが嬉しいかも。
 このところ会議は毎回大荒れで、諍い亊が苦手な私には重かった。内輪揉めをやっている場合じゃない。それでなくても世の中はアンフェアで、個人の尊厳が軽視され、戦前の国粋主義へとソフトランディングを図る政治家たち、ネット民たちで溢れている。
 今日(4月23日)、朝日新聞を読んでいたら、名古屋の河村たかし市長が「国に命を捧げるのは、大変勇気のあること。『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか」と持論を展開。続けて「学校現場でもこうしたことを一定は考えないといけない」と主張したらしい。ひと昔なら、たとえ右翼であってもそれは言わない約束でしょ、の範疇に入る暴論である。
 国に対して貢献したい、という考え方は個人の好き好きだが、命を捧げるという極端な思想は国民の尊厳を真っ向から否定する考え方だ。国家を維持・発展させる原動力が国民である以上、命は大切に守ることこそが政治の役割であろう。
 横浜から帰宅して、深夜、 村山由佳と朴 慶南 の対談集『私たちの近現代史』を開き、まえがきと序章だけ読んだ。お二人の歴史観と人間観に打たれた。
 で、翌日の日曜と月曜(22日)の2日間で読了。1日で読んじゃうのがもったいなくて(笑)。
 一昨日だったかな、友人からの電話で、彼から「そう言えば『青ノ果テ :花巻農芸高校地学部の夏 』を読んだよ」と。私が軽〜く勧めた青春小説で、結構、頭と体力を要する内容だったのに、それをさらっと読了して面白い、という感想をもらえたことは、ホント嬉しいこと!
 近頃、一日に200ページ以上は読みなくなってきた。そもそも集中力がない上に、目が疲れやすくなって、脳力も自分で自分がいやになるほど衰えてきている。
 この先、どこまで転落していくのだろう?
 高校生の頃から”転落する人生”に一種の憧れがあったのだが、それとこれとはまったく違う。ただただ不安。
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