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2024年03月15日13:48

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結果論

前回、敢えて「止める」と「辞める」の話に触れた。せして、「続ける」ということが、間違った方向に行かないようにするには、努めて「立ち止まる」ことが必要である。



では、「止める」と暇になって、「続ける」というと忙しい、って事だろうか。



思うに、二つの結果があると思えた。


つまり、当人が他者から「必要とされているかどうか、」である。





必要とされているなら、忙しいのは人気者の証拠である。


もし暇になれば、休暇にするなり、余暇活動に勤しめばいいだろう。リフレッシュでも、自己研鑽でも、使い方によっては、自分を大いに成長させてくれるのである。



一方、「必要とされていない」ならば。



「忙しい」とアピールするのは、「そうしないと、無価値な自分が襲ってくる」からである。「俺(私)暇なの〜」というのは、「ただ、楽しいことを探すとか選ぶ余裕と余地がある」人間の言葉である。何故なら、「暇」だから不人気、なんて事にはならないという事を、理解しているからである。





では、本当に、人気もなく必要ともされてない人間が、「暇なの〜俺、私♪」など言おうか。いや、言ってしまえば、自分を否定して、精神が保てない。なので、他人にその「人気ないが故の暇」の役割を押し付ける。というか、意図的に、そいつが人が離れたり、結果不利になるようにしむける。




「卑劣」と「卑怯」の違いがあるとすれば、それは「結果」と「原因」に関係するものと思われる。前者が「卑劣なやり口」と周りから後ろ指指されようとも、こっちはそんなこと気にする余裕がない。どれだけ卑劣であろうとも、「自分の矜持」を守るには、手段を選べないのだ。もしも「仕返し」の話だとして、である。その場合、当人の事を「卑怯」だとは言わないだろう。何故なら、「卑怯だから、卑劣な行いをした」とは、総じてなりにくいからであった。




翻って、「卑怯者が、卑劣な行為をする」というのは心理である。この場合の当人は、「状況限定」で、自分が有利になるよう、立ち回るからであった。






だが、いつか必ず「その状況」は終わるだろう。その時、「当然の報い」を受けなくてはならないが、それから「ビビって逃げる」が故に、「卑怯」のレッテルを貼られるのであった。卑劣というのが、一瞬を切り取った性質であるのなら、卑怯というのは、半永久的に、効果を発揮する「レッテル」であり、「烙印」である。俺にとって、「関わらざるを得ない過去の状況」というのは、総じて「烙印」であった。



つまり、「お前に問題があるから、うまくいかない…」と。




実際は逆である。「烙印を押されて、精神が崩壊しそうなやつは、無関係な他人に、そのババを引かせる」というのが真相であろう。私は、過去の「その状況」以外で、そいつを目測することは出来ない。だが、その状況から離れたら、何とも「哀れで滑稽」か姿が浮かび上がるのである。



手前味噌ではあるが、俺は随分「仕返しされる」という恐怖は味わったことがない。ただ、他人からそういう感情を感じない代わりに、「自分の責任でもないことで、取り返しのつかない事になったらどうしよう…」とする「空回り」が多かった。今言える事というのは、「俺の責任じゃない事は、知ったことか。そして、そいつが発端になった事への報いなぞ、なるようにしかならないだろう。俺はそれについて、知る機会もなければ、知る必要もない」のである。



そして結局のところ、「必要とされる人間」にならなくては、どんどん死ぬほど劣等感で、辛い思いするだけである。まるで、雪だるま式の負債のように。






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