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2024年01月03日15:23

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マイケル・ケンナ

 去年の秋、丸の内オアゾでゲルニカのレプリカを観た後、丸善で面白そうな無料展示があるので観に行く。展示場に着く前に洋書のカレンダーのコーナーを通る。そこで「なんだこれは!」という写真に出会う。高い所にあったから脚立を探して引っ張ってきて見る。なあんだマイケル・ケンナか、名前だけは知っていた。なあんだと思ったがネットで調べると凄い!だからどうしても欲しくなり今そのカレンダーが壁にかかっている。

 マイケル・ケンナ はアンセル・アダムスの後継者ではなかろうか?アンセル・アダムスにはお弟子さんもいたがその写真を見てがっかりした。アンセル・アダムスはお弟子さんに技術的な事は教えたが肝心な事を教えなかったのだ。
 アンセル・アダムスにせよマイケル・ケンナ にせよ、真似しようとして真似できる写真ではない。どうしたら撮れるのか?それを教えてくれるのがs先生だ。自分と向き合う事、どうしたら自分をワクワクさせる事ができるのか?

 創作活動をしていると自分はワクワクしているのだと思い込んでいたりはしないだろうか?よくよく自分と向き合うと実は退屈していたりはしないだろうか?欲望というものはちまたで思われているほど単純なものではない。昨日の欲望が今日の欲望ではなかったりする。欲望は無限だと言われるがそうではない。移ろうのだ。

 アンセル・アダムス、マイケル・ケンナさらに山本昌男さん、いずれも全くもって風景写真だ。風景にならないように、というお題を諦めた?屁理屈だが定義を変えよう。絵葉書や安物カレンダーのようなのが風景、前3者のは風景だけど風景じゃない。私が目指しているのはそういうのだ。
 絵葉書・安物カレンダーには情念がない。3者にはそれがある。なんだと?どうしたことだ?カメラは単なる記録装置なのだから情念を記録することは出来ないはず。どうしたら情念を写真に記録することができるのか?
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