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2020年10月31日11:49

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フェイスブック投稿から

2010年ごろ、ブログ・サイトのアメーバで知り合った二人の女性。どちらもフェイスブックには登録していないようですから、書けますが、こんな事があったとか。
  どちらも一男性に尽くそうとして、大金と肉体を搾取される結果に終わった。理由の一つは男側ですね。エゴで凝り固まり、甘えも強いという。言うまでもありません。
  でも、二人の女性にも問題が。まず、尽くし=愛か。違うと思うわけです。僕は女性たちにも指摘し、女性たちも気が付いていたようです。麻原やヒットラーに置き換えても判ると思います。悪いことしている麻原にただ尽くす事は愛ではないですが、それと同じです。
  もう一つは、何故尽くしたか? 「仲良くなりたいから」という本音があったのではないかと。仲良し=愛で、又、仲良くなれば、寂しさは消えるという意識が見られます。その二人も「寂しさ」を訴えていましたし。でも、感覚に過ぎない仲良し関係では、むしろ、仲良くなればなるほど、寂しくなるわけです。
  さらにその二人は今度はの僕に仲よくしようとしましたが、それぞれ失敗し、縁も早くに切れています。当時の僕もまだ仲よくと愛の区別がよく判らなかったし。「僕と仲よくしようとして、付き合いができず、早くに絶縁」はそれまで出会った無数の人たちに多くあった事です。五体満足だろうが、身障者や知的障碍者、ハンセン氏病元患者だろうが、変わりがなかった。何も僕に対してだけでもないでしょう。多くは「仲よくすれば、自分の持つ寂しさは消える」と思っている。それは幻想ですが。大体、感覚からは幻想しか出てこないわけですからね。
  今の僕は仲よくと愛の違いを説明できる。諸行無常。自分も刻々変化しているわけです。
  因みに、仲よくしようとしての離婚や親子不和も多いですね。以上は無数に多い例のほんの一部です。
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