※まだ僕が中学生の頃の緑ヶ丘中。ケーブルテレビ局が取材に来てたらしい。
色々あって、僕は「正直いける」という気がしてならなかった。
どういうわけか、僕はいやいや続けていたハンドボールがもう一度やりたくなった。
いやいややってるより、そんな自分をみているより、輝いている自分の方がいいじゃん?
という事を、僕は思うようになった。
まあそこから、野球部やサッカー部の友達と同じ高校へ進むことになった。別に成り行きで行きたかった訳ではない。彼らの事が好きだから、一緒に行ったのである。
そこに「こんな連中と〜」とかそういうネガティブな気持ちはなかった。別に居場所が欲しいから持ち上げるとか、そんな事は全然考えてなかった。
「俺は、俺の感動したことで勝負する。自分はそうやって生きていきたい。」とこの頃から考えるようになった。
僕はこの頃、テンションが爆アゲはもちろん、パソゲーにはまったりアニオタになったり、色んな事に走りまくっていた。
別に女の子はすごい好きやけど(というか俺はめっちゃエロかった)、だからって相手の顔色見るのは違うんじゃねえ?と思うようになった。
アニメでもゲームでもスポーツでも音楽でも何でもいい、自分が好きなもの見つけて、そこで人に感動を与えたい!と思うようになっていった。
人としてすごく素晴らしい事だと、考えるようになった。
だが僕はーーーー僕の友達もそうだがーーーーそういう「やる気」とか「相手を思いやる」という部分とは、おおよそかけ離れたヤツらによって、苦渋を舐めさせられる事になる。
そして、「好きだから一緒に行った」友達と、僕はーーーその「やる気がない」「いやいややってる」であろう人によって、取り返しのつかない溝が生まれることになった。
ーーーーーというのが今までの僕であったが、やっぱり段々自分も前に進まなくては、と思うようになった。
今まで日記に出てきた写真の一部が、僕の待ち受けになってるが、ご存じのお通り、男ばっかりである。女子と(彼女と〜)というような写真は探したが、やっぱり無いのであった。
「誰だこのおっさんたちは」と思うかもしれないが、僕の遠い昔の恩人たちであった。
いやいや取り組むより、一生懸命、ガッツ溢れる姿勢の大切さを、教えてくれたのであった。
僕が勝手に「谷先生との友情〜」とか思ってたのかもしれないが、この人を信じてハンドボール取り組もうとしたのは後悔してないけどね
できる、できないってのは結果論やし
お別れの涙ーーー僕はこの人の「男泣き」以来、大の大人の涙ってのを見たことがない。かくいう僕はしょっちゅう泣いている。普段は大丈夫なんだけど、「涙もろいスイッチ」が入るときは、めっちゃ泣いてしまった。
僕はどうせ不器用な人間やーーーーやから気取るとか「自分を大きく見せる」って事が出来ないのであった。
「等身大」の僕で、「地続き」の俺で、進んでいきたいのであった。
いやー写真に起こすと、色々思い出してくるなー(^^)
何か最近「部活顧問の押し付け」とか「資本主義の犠牲」とか、さらに「母に犠牲強いられてきた」「父の自己満足に〜」とか、思い出さずにはいられなかったけど、大事な部分はそこじゃねーだろう、カトージュンヤよ。
お前の「人のために頑張る」ってのは何やねん
それはつまりーーーー谷先生なり、祖母がいたから、俺が出来上がっていったんだろう
それは自分を犠牲にすると同義じゃない。win-winでやっていくものなのだ
何で今になって「写真」をとりたくなった、やっぱり自分をいたわりたいなーってよく思う!最近
(^^)
続く
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