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2019年02月06日00:51

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井伊谷城1

2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の故郷である井伊谷。井伊氏の祖先は寛弘7年(1010年)、八幡宮の井戸の側で発見された捨て子が祖先と伝わっている。やがて7歳の頃にその才備を見込んだ国司の藤原共資の養子となり、共資の娘と結婚して長元5年(1032年)に家督を継承。共保(ともやす)と称して井伊谷城を築城し、地名から「井伊氏」を名乗った。しかしこの話には多くの逸話があって定かではない。

標高110mの井伊谷城は小規模な城であるものの南の三方を遠くまで見渡せ、背後の北には標高の高い山々が連なった要害の地であり、南北朝の動乱を受けてこの北側に詰めの城である山岳城を新たに築城した。普段は井伊谷城、戦時の際には山岳城に籠る戦術をとっていたとされている。

井伊道政は南朝の後醍醐天皇に従い、皇子の宗良親王を伊勢から招いている。さらに道政の娘が親王の正室として嫁いでおり、2人の間に誕生した尹良親王は井伊谷城で生まれたとも伝わっている。そのため井伊谷城は別名「御所の丸」とも呼ばれていた。しかし北朝側で駿河国守護であった今川範国の攻撃を受けて井伊谷周辺で合戦が繰り広げられ、暦応3年(1340年)には北朝の高師泰、仁木義長らに攻められて落城する。

宗良親王は信濃国に亡命した後、南朝の征夷大将軍に任命されると新田義貞と共に各地を転戦するも足利軍を相手に追い詰められ敗走を繰り返す事となる。この間、つき従っていた井伊直秀が戦死している。その後の井伊氏は今川貞世の九州平定に同行して重臣の奥山直朝が戦死した。元中2年(1385年)、宗良親王が薨去(こうきょ)し、正平元年(1392年)には3代将軍、足利義満によって南北朝統一が成り井伊氏も戦国時代が到来するまで平穏な日々を過ごしていた。

室町時代には斯波氏が遠江国守護となり、井伊氏もそれに従っていたがやがて駿河国守護の今川氏親や配下の伊勢宗瑞(北条早雲)が遠江へ侵攻。尾張国守護の斯波義達がこれを迎え撃ち、遠江は戦場となったがその最中の永正11年(1514年)、今川家の朝比奈泰以(やすもち)によって三岳城が落城し、井伊氏は今川氏配下となる。

今川氏の配下となってからの井伊氏は不運続きであった。天文11年(1542年)、今川義元に従って三河国の田原城を攻めた井伊直宗が戦死し、子の直盛が家督を継ぐも今度は天文13年(1544年)に弟の直満と直義が甲斐国の武田氏に内通した疑いよって切腹を命じられる。これには家中でも今川寄りの強かった家老、小野政直の讒言があったと言われている。
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