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2018年12月06日15:43

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受け身

有り難いことに、今まで行く先々で、それぞれ誰か声をかけてくれる人がいたと思う。だからといって、ちゃんと打ち解けてオトモダチに持っていけるかというと、難しい。

きっかけさえあれば、余程避けたりしなければ、自然に仲良くなれるもの、という空気がある。でもそんなもんじゃない。
相性とかも普通にあるだろうし、あとその場の成り行き。なるものはなる、ならないものはならない、としか言いようがない。

仲良くしたいとかしたくないとか、そんな気持ちの問題ではなくて、技術的に無理なこともある。仕方がない。

現在に至るまで、あまり自分から人を誘ったり、何か提案して始めたりして来なかった。声を掛けられなければ、ずっとひとり、そのまんまである。
なんとなく、向こうから開いてきたときにしか、入って行ってはいけない気がする。こっち側からは開けられないドア。

向こうが声を掛けてくるときは、違和感はないのだけど、こちらからは、違和感のないタイミングが見つからない。どの瞬間も、「今じゃない」と思う。
幼稚園のときに、教室に入るタイミングが無かったのと同じように。

人の様子を見て、ああ、これはアリなんだなと思う。その人がやってるんだから、それが正解なんだなと思う。
それを参考にして…と思っても、同じ状況はそうそう起きない。応用して実践はなかなかできない。

今は家族があって、当たり前にここにいて、暮らしている。家でも職場でも、そこに役割があって、当然にそこにいられる状況があれば、そこにいられる。

オトモダチ関係はそういうものではない。もっとフワフワしたもの。何もあてにならない。
将来、なんらかの事情でひとりになった時に、立つ地面がここにあるだろうか、と考える。自分がガチャガチャ声を上げたところで、受け入れられなければ、ただの迷惑な老人に過ぎない。
孤独死でもして可哀想な人にでもなれば、ああ、あの時助けてあげていれば、とか思われるのだろうが、現役で迷惑かけている最中には邪魔だなーとしか思われないんじゃないかと思う。

うちの子どもは、お友達がいて、普通に「すごいな」と感心している。声を掛けてくれる子に恵まれているのだろう。

息子も自分から声を掛けるタイプではないようだ。恐らく、遊ぶときに人を誘ったり、遊んでいる所に行って「入れて」と言ったりしたことはないと思う。
周りで好き勝手にしていると、誰かが声を掛けてくれている、ような感じに見える。

幼稚園の時も、園庭で鬼ごっこをしている子達の周りで、ただ走りまわっているのをよく見かけた。
先生は、自然に仲良く遊んでますよと仰っていたが、ちゃんと見えていたのだろうか。あれ一緒には遊んでませんよ?みたいな。

面倒くさい「受け身体質」を受け継がせてしまったな、と思う。でも嫌われるようなことをしなければ、案外このままうまくやっていくんじゃないか、と思っている。わたしと違って、すんなり友達を作れているようなので。


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