mixiユーザー(id:30732831)

2018年11月09日19:52

321 view

風外慧薫禅師と松永記念館

風外禅師の説明は前回と同じ保坂学芸員で、同じ説明だった。小田原には50歳を過ぎて、穴風外、怒りの風外と呼ばれた。真鶴、中伊豆、浜松と移り、87歳で生き仏となった。
聖人風外ともいわれる。
17日にマイクロバスで訪ねてみる。寺に入るのをきらい、洞穴で坐禅した。達磨禅師を信奉していたようだ。真の禅僧かもしれない。

松永記念館は中村学芸員の説明だった。3畳の床の間は亡くなったときに亡きがらを安置しておくようにだった。各所に意匠が凝らされている。

大広間の片隅の欅がみえるところが気に入りの場。
釈迦如来の石仏が見える。
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する