「食」に対する嗜好、というものが幼少の頃と随分違っている。
思い返せば、子供の頃俺は、何も好きではなかった。
「食事」という行為自体が面倒くさくて、
お腹なんか減らなければいいのに・・・・と思いながら暮らしていた。
中でも
「茄子」
と
「トマト」
が苦手で、逃げ回っていた。
だがしかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今の好物は?と言えば「茄子」と「トマト」だったりする。
何なんだ?と本人としても思わなくはないが恐らく、
「食わず嫌い」であったのであろう、と推測される。駄目な子供である。
何故こんなことをブログに書くほど思いつめたか、というと
「香辛料問題」である。
茄子、トマトと共に、香辛料も大嫌いだったのですよ俺。
七味唐辛子とか、芥子とか、ワサビとか、コショウとか、タバスコとか。
もう、「この世の災厄」とばかりに忌み嫌っていた。
目にしたら即刻、破壊、破棄していた(←これは嘘)。
何が嬉しくて食い物を「辛く」しなきゃならないんだ?
「辛い」は、「ツライ」じゃないか。漢字だってよく似てるだろ。
カレーだって辛くないものを要望していた。要望は、ほとんどの場合叶えられなかったが。
だがしかし、
老青年となった最近・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
七味唐辛子が、異常に気に入っているのだ。
以前は気付かなかった、というか知りもしなかったのだが
七味唐辛子って「七味」入っているのだね?
「一味唐辛子」って何だよ?って思って、その事に気がついた。
すごい。ゴージャスで繊細じゃないか、七味唐辛子。昔はさぞ、高級品であったであろう。
七味じゃなくても、洋芥子も、ワサビも、タバスコも、今では大量消費者である。
辛ければ辛いほどいい。マゾか俺は。
しかし、「辛いもの」の何が、どう、「いい」のか?ってことは説明できない。
おそらく、文学的ではない理由なのであろう(そりゃそうだ)。
幼児の味覚は未発達で、ほとんど「甘味」しか感じられないらしい。
味覚というものは多少の鍛錬を要するものなのかも知れない。
今ではカレーも、ある程度だが、辛いものが好きだ。
そうだ、もう一つ、「葱」の存在も、子供の頃の俺が忌み嫌っていたものだった。
全然意味がわからなかった。何でネギ入れるの?って、本気で不思議だった。
だがそれも今では好物で・・・・・・・・・・・。
ほとんど何にでも、スライスされたあのリング型のいわゆる「カットネギ」を
大量に入れる。美味しい。ネギは素敵だ。
だがしかし、思うのだが「刃物」出現以前の人類はあの「カットネギ」を知らなかったであろう。
鋭利な刃物がなければあのネギの千切りは出来ない。
あんな風にカットされていなければネギも、こんなに魅力的ではないであろう。
包丁に感謝せねば。
現代では「ネギの千切りマシーン」という夢のようなものが自動的にネギを切ってくれているみたいだが、
江戸時代以前の人がそれを知ったら驚くだろうな・・・・とかつい、考えてしまう。
しかし、ネギだけではなく・・・
刃物がなければもしかして「刺身」というものは、存在し得なかったのではないだろうか?
包丁で切らずに生魚喰うのって、考えたらゾッとしない?
こんなのって、馬鹿馬鹿しいかな?
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