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2017年12月26日07:46

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優等生だった彼女と

22日金曜日、孫娘は予定通り母親と双子の弟達とクリスマスを過ごすために出かけた。
なんとなく不機嫌な様子が気になったが
「みんな喜ぶわよ、クリスマス楽しんでね。」
と送り出した。

そして23日、絵描きの親友がクリスマスを一緒に過ごすためにやってきた。
ロンドン北の長男の家で数日にわたって3人の孫たちの面倒を見ていた後で、疲れた様子。
この歳で幼い子供の面倒を見るのは疲れるよね、と頷きあった。
しかも3人よ
と親友。

絵描きの親友は9月末から11月末まで日本だった。
故郷に近い古い町で開いた個展は成功のようだった。
ほとんどの絵が売れたと。
そして同窓会は温泉宿に一泊しての楽しい同窓会だったらしい。
特に今回は珍しい人に会えたと親友は大変喜んでいた。
その珍しい同級生とは、私も最も会いたかった人なのだ。
高校時代私たちはその同級生と親交はなかった。
なのになぜ最も会いたかった人だったなのか。

その同級生は優等生だった。
私と親友は勉強には興味がなく、授業中にトランプで遊んだり、弁当を食べたりなどのいたずらばかりしていた。
なのでその優等生の彼女とは全く接触がなかった。
ところが優等生の彼女は手術のために入院した。
2ヶ月ほどの長い入院中、彼女からクラスに手紙が届いた。
手術のこと、術後にパイプだか何だかが引き抜かれた時の痛さなどが明確に書かれていた。
その描写は頭の良い人ならではの描写で、さすが優等生と驚いたものだ。
私たちクラスの者全員がお見舞いの手紙を書くことになった。
そして退院してきたその優等生の彼女が、信じられないことに教室を出るときに私のそばで
「お見舞いの手紙ありがとう、KOKOさんの手紙が一番面白かった。」
と言ってくれたのだ。
優等生が頭の悪い私に声をかけてくれた。
それも私の手紙が一番面白かったと。
嬉しさのあまり何も言えなかった。
その後彼女は機会があるごとに声をかけてくれるのだったが、当時の私にはまるで憧れのスターに声をかけられたようなもので、嬉しいと同時に恥ずかしく何も言えなかった。

お見舞いの手紙には当時(57年前)我が家で飼っていた雑種のメス犬が子犬を産み、その子犬をあちらこちらにあげてしまったために、毎日子犬を探しながら鳴く犬を描写したように思う。

そんな思い出があったので4年前初めて同窓会に参加したとき、一番気になったのはこの優等生の彼女のことだった。
が、彼女は参加していず誰からも情報を得ることはできなかった。

優等生の彼女は親友が絵描きで個展をやっていると知ると、早速画廊に現れ絵を買ってくれたそうだ。
今回絵描きの親友が彼女に会えて、しかも今私たちは交信できるようになれてこれほど嬉しいことはない。

優等生だった彼女の人生は一体どんな人生だったのだろうと興味は尽きない。








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