ここのところ、
(ひどい)悲しみ も(ひどい)痛み も少しずつ、感じなくて済むような日が増えました。
痛覚とか感覚が麻痺しただけなのかもしれないけど。
私が相変わらず、私であることは厳然とそのままで、
それはきっと、死ぬまで続くのでしょう・・・・・・・・・・ハァ(タメイキ)。
やたらドギマギしたりして、
そのくせ鈍感だったりする。
鋭利な刃物みたいに怖いくらい切れる気もするがその実、
錆びたナタみたいに ただ、ただ、鈍重なだけ。
でも
思い出すたびに「美しさ」は
増していくか、消えゆくか、のどちらかで、
その中間くらいのところで私は暮らしている。
そのことは どんな場合においても そうで、
「そうでない世界」には私は既に、いないのでしょう。
言っておくけど私は、世界を呪ってなんかいない。
むしろ、祝福したいくらいだ。
でも、そのどちらとも、
大したリアリティは ない・・・・・・・・・・・・のでは、ある。
かと言って、
微力(びりょく) は 無力(むりょく) では ない。
まるで「愛」と「憎しみ」が醜い双子のように似ているからって、
それを
いっしょくたにしていい・・・・ってものでもないのと同じ。
だから結局は私も、
途方に暮れて、また溜め息をつきながら
来るあてもない「カボチャ大王」を一晩中、畑の真ん中で待っている。
「セーフティ・ブランケット(安全毛布)」の端っこを
指が痛くなるくらい、握りしめながら。
もう一度言う。
「微力」は、「無力」では ない。
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