私が生まれた家は、江戸時代から建っていた家だそうです。
江戸時代末期は、適塾の緒方洪庵先生の弟子の、山田貞順
という方の医家。
岡山県吉備郡足守町。備中木下藩二万五千石の陣屋町。
水蜜桃の大産地。今頃の季節は、桃の花の真っ
お揚げを作るために油を燃やすため、天井の梁などは煤け
ていました。疎開していた、そんな家で生まれました。
その家で、祖父が医者をしておりました。
私をとりあげたのは、祖父です。父の父です。
生まれたのは、夕方だそうです。
私の産声を聞いて、蚕室の座敷から離れた部屋にいた4歳の
次兄は、ゴムボールを持って来て、「これをその子にやって
くれ」と言ったそうです。
終戦から9か月。そのボールは、次兄にとって、どんなに宝
物だったことでしょうか。
母は、人生であの時ほど嬉しかったことはなかったと、何べ
んも何べんも語りました。
前の年の8月6日。西宮今津の大空襲で手を引いて逃げまどっ
ていたのが、その次兄です。
それから19年後。母が亡くなっていた大学受験の時、弁当を
作ってくれたのは、その次兄です!
ログインしてコメントを確認・投稿する