幸せはお金で買えない。
そりゃそうだ。幸せはどこにも売ってはいない。
売ってないものは買えるわけがない。
けれどお金で買える幸せがあるのは事実だ。
もし今、お腹が空いていたら、欲しいものは食べ物。
もし今、寒かったら、欲しいものは暖かい衣類。
もし今、ドライブしたかったら、欲しいものは車。
それらを手に入れるためにはお金が要る。
欲しいものが手に入ったら幸せになれる。
お金があれば幸せになれるという所以だ。
園児にもわかる。
だから4〜5年前にも私は書いた。
「幸せはお金では買えない」と言い出したのはクーデターや暴動を恐れたお金持ちと、彼らと結託した政治家や宗教家の戯言だ、と。
そしてお金で買える幸せを買えるだけ買って、息を引き取る時に「やっぱり幸せはお金で買えなかったわ」と言ってみたいものだと。
その後、キムタクとお笑い芸人の宝くじのCMがあった。
「お金で買える幸せを買えるだけ買って、幸せはお金で買えなかったと言ってみたい」
その中でお笑い芸人がキムタクに向かってそういうような事を言った。
あら、同じことを考える人はいるものね。
私は驚きながら盗作されたような気分になった。
けれどその後私は変わった。母の死で死生観が変わったせいかもしれないが物欲も減って、最期に思いたいことは「愛した、愛された、幸せだった」ということだけになった。
そしてそう思えるようになった自分がちょっと気に入っている。
そう思えることは自分が強欲で、世俗にまみれていると自覚するよりは、とても気持ちのいい、幸せな気分になれる。
でも最近ある作家の方から聞いた話が気になっている。
「プロの書き手はね、こういうSNSからヒントを得てる場合が結構あるのよ、お笑いのネタとか、CMのネタとか」
え?
え?
そしたら、もしかしたら、やっぱりあの時のあの私の日記、盗作されたんじゃね?
著作権で争ったら勝ったかもしれないんじゃね?
そしたらがっぽり儲かったかもしれないんじゃね?
あ、
いえ、
だからね、
歳をとったらお金の他に必要なものは、健康と、友達の他に「夢」なのよっ
「いつでも夢を」
「いくつになっても夢を」
なのよっ
盗作かもなんていうこの想像は、宝くじを買う人のほとんどが夢を買ってるっていうのと同じ「だったらいいな」という夢なの!
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