東京って、石を投げたら芸能人に当たる。…んじゃないかと思うくらい芸能人だらけじゃない?そんな気がするのはAKB48とか、◯48とか△48とか…、とにかく女学校のひとクラスの女の子がみんなで歌ってるような、グループ歌手が増えたせいなのだろうか。芸能人
大人になった子供との同居は経済的だ。生活費や食費を搾取できる。何より私が認知症になった時に早く気づいてもらえるというメリットもある。その時のために「もしお母さんがそうなったら」という会話は普段からボチボチしている。だけど、同居はいろいろとめ
マイナンバー用の写真を撮った。撮ったのは夫だ。その時言われた。「お前、だんだんお母さんに似てきたなあ」子供の時から私は母似だと言われていた。けれど夫は老いた母に似てきたと言ってるわけだから、私の顔はひきつる。若い時、人並みにダイエットに苦労
しょぼくない?3時半頃千葉のドイツ村に着いた時、私は内心がっかりした。だだっ広いだけの芝生の広場は子連れのファミリーにはいい所かもしれないが、そして新緑の頃なら我々シニアの夫婦にも良い所かもしれないが、この時期、この広さは肌寒いだけだろう。
ガン検査は大切だ。だが女にとって乳がん、子宮がんなどの検査は抵抗がある。親戚に昔、膵臓癌になった方がいた。助かったものの、その時思った。胃がんや大腸ガン、そして子宮がんや乳がんは早期発見のため受診してる人は多い。だけど膵臓癌の検査というのは
去年、義母のお葬式で親族一同と写真を撮った。 結婚式の時のように、そう言う時も写真を撮るようになって久しい。その写真を見て次男が遠慮がちにつぶやいた。 「ホント、お父さんの親族ってみんな小さいんだな…」 「でしょお!?」 私は思わず尻上がりの声
子供が幼稚園に行く頃になるとママ友は増える。その時できた友達Hは、ある宗教団体に所属していた。気配りや気遣いに長けたその人は友人も多く「誰からも好かれるタイプ」だったが、誰からも好かれるということは、ややもすると欠点にもなった。彼女はある人
長男を産んだばかりの頃、私は赤ん坊の可愛らしさに夢中になった。世界中の不幸な子をみんな育ててあげたいと思うほど、愛おしかった。そして私ほど我が子を愛おしいと思う母親はいないんじゃないかと、そんな不遜なことまで思った。ほとばしるほどの母性に我
宮下順子。あなたはこの名前をご存知だろうか?大概の女性は知らないだろう。けれど60代前後の男性ならご存知かもしれない。彼女は1970年代、日活ロマンポルノ映画のスターだった。私が彼女を知ったのは、バイトで彼女の映画のエキストラに出たからである。当
「抱かれたい男」そんな言葉を女が平気で言えるようになったのはいつからだろうか。たしかファッション雑誌「アンアン」で「抱かれたい男」のランキングが始まったのがきっかけだったように思う。初めてその活字を目にしたとき私は驚いた。微かな羞恥心を感じ
定年を迎え介護も終えた私は毎日が日曜日になったが、主人はまだ役員としての仕事がある。けれど彼もそろそろ定年後に何をするか模索している。私の趣味はスイミングや読書、ビデオ鑑賞、観劇、SNSと数えると多い方らしい。主人も息子たちもそう言う。けれど
はとバスと聞くと「田舎の人が上京して乗る観光バス」というイメージが拭えない。だからこそ地方から出てきて都民になった田舎者は避けたい乗り物だった。私が上京したばかりの頃の東京は、田舎者と思われると足元を見られる空気が残っていたからだ。ところが
テレビが我が家にやってきたのは小学5年生の時だった。テレビのせいでどの家も幾分夜更かしするようになったとは言え、田舎の夜は早い。子供の夜はさらに早かった。午後8時になるとNHKの画面にはテロップが流れた。「よい子のみなさん、もうおやすみの時間で
美容院に行った。元気な頃、母も利用していた美容院である。「いつもと同じようにカットしてください」そう言うと馴染みの美容師が挨拶代わり言った。「お母様は元気?」母は二週間前に亡くなった。それを告げた途端、私の目からは涙が溢れる。デリケートな傷
弟が亡くなったのは彼岸花が咲く季節だった。 もう30年近くも前のことだ。 新幹線の車窓から見える田園風景の中に点在するその彼岸花を見て、弟はとてもいい季節に神に召された気がした。 まだ30代だった弟の死をそう思うことでほんの少し自分を慰めようとし
長男が生まれた時、近所の子供は皆小学生だったが、年齢の近い男の子が一人だけいた。一つ上のその子は我が家の裏の家の子だったが、両親ともに働いていてお姑さんがお守りをしていた。長男と仲良くしてもらいたくて私はその子も可愛がった。その甲斐あってす
スイスの旅でご一緒になったツアー客は私と主人を含めて13人。 みなさんリタイア組で、海外旅行には何度も行かれている方ばかりだった。 9日間も行動を共にすれば皆さんとも自然と仲良くなり、食事の時など話が弾んだが、やはり話題は今まで行った国の話にな
スイスはオーストリア、ドイツ、フランス、イタリアに囲まれた山国である。だからスイスに行く方法は直接行くのを含めると5通りある。我々はドイツから入った。ドイツのミュンヘンで一泊し、翌日はライン河の国境を越えてオーストリアへ。オーストリアを一時
断捨離は相変わらず手につかない。けれどモノを増やさないように心がけてはいる。何しろ「増やしていいのはお金だけ」のお年頃。とは言え、増やしたところで使わず死んだら死んでも死に切れず、浮遊霊になるのがオチ。そしたら息子たちも背後に私の気配を感じ
「肖像権の問題がありますので…」テレビスタジオの案内嬢は続けた。「出演者のことはブログには書かないでください」肖像権?それは写真なりビデオなりの映像に限っての言葉じゃないの?私は食い下がった。「活字だけでもダメなんですか?」「はい」先日「徹
夏休みになると思い出す。もう10年近く前に学童で預かっていた子供達のことを。その日、私は午後1時からの仕事だった。間に合うように職場に車を走らせていたら市役所からのお知らせのアナウンスが聞こえた。走りながらだったのでよく聞き取れなかったが、3人
気になる数字というのがある。 こだわる数字もある。 そして喜ばれたり避けられたりする数字もある。 国によってそれぞれだろうが、日本人の嫌いな数字は何と言っても4と9だ。 単なる語呂合わせに過ぎないが、それでも4は死、9は苦を連想させるというわけ
軽井沢は僻地だった。正確に言えば軽井沢の追分は。もっと正確に言えば軽井沢の追分の山荘は。社員が家族と利用できるその山荘は、季節が都内近郊よりやや遅れるため、今が新緑で森林浴にはもってこいのはずだった。ところが二泊三日の間ずっと雨。おまけにネ
よちよち歩きの子供にとっては、ちょっとその辺を歩くだけでも大冒険だった。「お散歩に行こう」そう声をかけると長男も次男も大喜びで玄関に座り、小さな靴を履かせてもらうのを待っていたものだ。それだけで彼らは喜んだ。幸せの原点はそれくらい素朴なもの
昭和初期に活躍した実在の女漫才師、ミス・ワカナ。その生涯を描いた「おもろい女」を観劇してきた。前夜あまりよく眠れなかったので低血圧の私、居眠りしたらどうしようと心配していたが、そんな心配は全くの杞憂だった。始まりから観客の笑いをつかんで離さ
先月末、次男のお芝居を見てきた。「2ファミリーホラーハウス」笑った。笑えた。とにかく文句なく面白くて楽しかった。私は映画でもドラマでも本でも、面白いものに当たると誰彼構わず喋りたくなる。ただ次男が関わってる舞台となると自制心が働く。「親バカ
赤ちゃんはいつから夢を見るようになるのだろうか。そして人はいつまで夢を見られるのだろうか。私は自分にノルマを課している。毎日母の見舞いに行くことと、母のそばに最低30分は居てあげることを。それは徘徊や幻覚がひどかった時や、失禁するようになった
17歳というのは16歳よりも18歳よりも魅力的な年齢だ。 だから17歳になった時、私は期待した。 なにか、とても素敵なことが起こることを。 青春真っ只中の年齢なのだから、それにふさわしい何かが起こるはずだと。 でも同時にそんな素敵なことは何も起こらない
新入生の名簿が届く三月。毎年その名簿を見るのが楽しみだった。今年はどんなユニークな名前の子がいるんだろう、と。三月で定年になり新入生とは関われないとわかっていても、「どんなキラキラネームの子がいるのか」と興味があった。考えてみればこの「キラ