前回、聖書から
『三人の賢者』の話をしました。
今回は仏教から
『三人の使者』の話を
したいと思います。
ある大悪人が死んで、
閻魔(えんま)さまの前に行きました。
大悪人だけに地獄行きは誰の目にも明らかでした。
しかし、悪人はこの期に及んでも言い訳を始めます。
「私の生まれた境遇が悪いのです。私がこうなったのは私のせいではありません」
「私の育った環境が悪かったのです。私のせいではありません」
「社会が悪いのです。
何をしようとしても上手くいかないので仕方がなかったのです」
悪人の言い訳がつきたところで、黙っていた閻魔さまは静かに言いました。
「私は、お前が悪いことをする前から、
そして悪事を重ねている間も、
それ以上悪いことをしないように、
絶えず三人の使者をお前のそばに差し向けたが、気づかなかったか」
「三人の使者なんか、
来ませんでしたよ」
悪人には思いあたる
ことがありませんでした。
「そんなことはあるまい。お前は生きている間に病人に出会ったことがないか」
「病人ならたくさん見ましたよ」
「その病人こそが第一の使者だ」
「病人を見て、どうして自分もいつまでも元気でいられるわけではない。
病気になって、誰かのお世話にならなければならないから、悪いことをやめて良いことをしておこうと思わなかったのだ」
「病気になったらおしまいだと思っただけです」
「愚か者め」
「次に、お前は年寄りを見たことがないと言うのか」
「年よりならうんざりするほど見ましたが」
「それこそが、私が送った第二の使者だ。
自分もいつか歳をとる、このままでは誰からも嫌われると反省しなかったのだ」
「歳をとる前に金をためようと、強盗に入ったのです」
「ふらちものめ、その様子なら第三の使者にも気づかなかったであろう」
「誰のことです?」
「お前は葬式を見たことがないのか。死こそが私が遣わした第三の使者だ。
人はいつか死ぬことを教えてやったのに、生きている間に心を磨くこともせず、傲慢と損得とずる賢さという心のトゲばかりを増やしていったのか」
「心を磨いたって何の得にもならないじゃないですか」
「たわけ者め!
お前のような奴は地獄に堕ちるがよい。
地獄にはお前のような自分勝手で、人を裏切ることを何とも思わず、自分を護るためだけに言葉を使うヤカラしかおらぬ。
お互いが敵同士じゃ、心の休まる時など一瞬もない。」
「こやつを地獄の底へ連れていけ!」
閻魔さまは、悪人が引き立てられていく後ろ姿を見て、
哀れな奴よとつぶやきました。
この話の元になるのは
お経の四苦八苦の
最初の四苦(生・病・老・死)の中から病、老、死を三人の使者と説いている物語です。
言い訳ばかりしていないで、
三人の使者に、
気づきますように。
閻魔さま(お地蔵さまの変化)に
合掌
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