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2015年04月02日11:34

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人生意気に感ず「いよいよ決戦。子どもの声は騒音か」

◇いよいよ告示が明日に迫った。昨日、遊説で出会ったある若者が真顔で訪ねた。「先生は選挙は民主主義の柱と言っていましたが、わかりません。投票しない人が半分もいるのに。民主主義って何ですか」真面目そうな青年の目は私が真面目に答えることを求めている。時間がない中、ここは踏ん張り所と自分に言い聞かせて、私は民主主義を語った。「国民が平等になって、一人一人が政治の主人でしょう。これが民主主義だね。しかし、全員で決められないから代表に任せる。代表者を選ぶのが選挙ですよ」「うん、わかる。しかし、投票する人が半分なんて、代表者に任せたと言えないよ。それに最近は立つ人が少ない、買い物したくても買いたい物がないみたいだ。民主主義ってごまかしじゃないの」<うーん、この若者は、本質的なことを衝いている>私は、話すのを止めて、頷きながら若者の顔をのぞきこんでしまった。「民主主義は高い理想です。現実とは離れています。近づけていかなければね」私は苦しい思いで答えた。「先生が推薦する萩原さんて大丈夫ですか」やっと食いついてくれたと心で苦笑いする。「ええ、最近珍しい勇気と志を持っている。小さな芽だけど育てて下さい」「考えてみるね」若者は明るく笑った。少しずつゆうじ君が浸透していることを感じた。
◇「子どもの声がうるさいから保育園に反対だって」、「設置反対で訴訟も起きている」ある会合でこんな声が聞こえた。うるさがるのは多くがお年寄りだという。世も末か。子どもの元気な声は社会の活力源ではないか。子どもが元気で飛び回れない社会を作ろうとするのか。こんな風潮は元気を失っていく日本社会の象徴である。こんな老人は小鳥のさえずりも騒音ととらえるのか。肉体だけでなく心までが老いていくことは悲しいことだ。公共心がないのは現代の若者だけとはいえない現実だと思われる。可哀想な子どもたちよ。裸足で遊ぶことも砂に手を突っ込むこともさせてもらえず、運動会でも一着を競うことも出来ない子どもたちに、生きる力を求めることは無理。大きな声も出せない社会に生きる子どもたちにどんな未来が待ち受けるのか。
◇夜、緊急選対会議を開き、私は発言した。「これからが本当の戦いです。30歳の若者が出馬した意義を掲げ、力を合わせ、勝利を信じて戦い抜きましょう。多くの有権者はきっと私たちの訴えを分かってくれます」(読者に感謝)
☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

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