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2015年03月28日09:25

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随筆「甦る楫取素彦」第188回

6、眞先に廃娼を断行した伊香保 (小暮武太夫)

群馬県は明治15年に廃娼の行方を定めた。それは5年の期限を与えるものであった。ところが、それを待たずに国に働きかけ断行したところが伊香保であった。実行の指導者木暮武太夫は「廃娼20年記念会」に出席した。ここに記述するところは、記者の取材に応じて木暮が語る追憶である。
 木暮は「私は慶応で学び福沢の感化を受けた」と語る。福沢諭吉によって進歩的な考えを身につけたことが廃娼断行の原動力だったと言いたいのだろう。そして、「当時憎まれて半年位はほとんど絶交状態だった。しかし、その後温泉が繁栄するにつれ感謝されるようになった。公娼廃止の結果は私娼も起らず極めて善良な風俗を維持する事が出来た」と語る。群馬は社会の実験場との見方があったが一つの実験結果を木暮は語っているといえる。更に語る「お陰で息子や作男が真面目に働くようになり助かりますとよく言われる。それ迄は渋川その他から若者が女郎買いにやってきた。夜通し遊んで朝早く帰って、畑に出て物陰で昼寝をやっていた。廃止した後、近隣の風儀は改まってよくなった。だから、公娼が人の羞恥心を破壊し貞操道徳の根底を紊乱(びんらん)するものだといえる。群馬の廃娼は色々の点で世人の迷蒙(めいもう)を破っている」
 私は、木暮武太夫の政治家としての見識と決断に敬服する。政治家はとかく、目先の利に動かされ、有権者にこびて行動する。もっともこのような人たちは、政治屋というのであろうが、小暮は「廃娼」で見る限り政治家であった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。
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