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2014年12月13日09:13

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随筆「甦る楫取素彦」第154回

第四章 楫取が播いた種

 楫取は廃娼を決めて去った。楫取の決定は紆余曲折を辿るが消えることはなかった。それは楫取が播いた種が芽を出し、成長の過程で試練に見舞われる姿であった。やがて群馬は全国にさきがけて廃娼県の金字塔を打ち建てる。そして、この塔の示す先に救世軍の自由廃業運動があった。その後、事態は正に歴史的に展開し人間の尊重、基本的人権を高く掲げる日本国憲法の時代となった。ここで苦難の道を辿った女性解放は正面から脚光を浴びるのである。それは楫取が播いた種が大きく成長し正しく評価されることを意味していた。
 楫取は明治17年に群馬を去った。楫取が実行した廃娼の布達はその後どうなったか。布達の示すところは明治21年6月限りで廃娼となっていた。
◇佐藤知事、廃娼を延期。
 ところが次の佐藤与三知事の時、突然変化が生じた。即ち、明治15年布達の娼妓貸座敷廃止の儀は問題があるので当分の間延期するというもの。明治21年5月26日付で、この命令は出された。楫取が定めた期限の5日前である。あれだけ議論を尽くしたのに何としたことかと思う。佐藤与三は楫取と同じく長州萩の出身であった。
 そこで明治21年11月の通常県会では検黴費(けんばいひ)、つまり梅毒検査費用を認めるか否かをめぐってまた、楫取の時代と同様な廃娼、存娼の議論が行われた。もとより、この梅毒検査費用は公娼存続と不可分の問題である。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。
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