mixiユーザー(id:3696995)

2014年12月02日22:22

196 view

MJQ

MJQをご存じだろうか。
試しにMJQでググってみたら、トップに「MJQウェディング」なるものがきてビックリした。
どうやら結婚式場らしい。
モダン・ジャズ・カルテット(The Modern Jazz Quartet)はその次だった…。

その名の通りモダン・ジャズのカルテットである。
1950年代からほぼずっと、解散していた時期もあるとはいえ、長いこと活動していた名コンボである。
MJQの略称で親しまれている。
ハード・バップをベースにしながらもヨーロッパのクラシック志向が強いコンボでもある。そのサウンドは「クール」とも「室内楽的」とも言われた。ところがクラシック曲のアダプテーションは意外に少ないのである。

ちょっと話がそれるが、ハード・バップとはビバップの発展形である。
そもそもビバップとは何かというと、ビバップ=モダン・ジャズの原型と言ってもいいように思う。テーマに基づいたコードによりアドリブを組み立てるのがビバップ。和声の細分化が進んでくると、もはやテーマからはかけ離れたアドリブに終始し、テーマはアドリブを引き出すための素材にすぎなくなってしまう。そこに限界を感じ、フレージング(メロディーと言い換えてもいい)を重要視するようになったのがハード・バップである。ここで言うハードとはハード・ロックなどに使われる「激しい」というような意味ではなく(そうした面もあるとは思うが)、「ガッシリした」という意味合いを持つのではないかと私は解釈している。スキームがしっかりしているとでも言おうか。ただ、ビバップよりも制約を強めることになってしまい、新たな可能性を模索したのがモード・ジャズでありフリー・ジャズである。

ちなみに、モダン・ジャズは黒人が自らのアイデンティティを示すための音楽と言ってもいい。もちろん白人プレイヤーもいるが、圧倒的に黒人が多い。そんな中でもMJQのようにクラシックに対する憧憬を持ち続けた人たちも少なくない。
ジャズの歴史を考えるにおいて、人種差別の問題は無視できないのだが、これだけは言える。
音楽の前では肌の色など関係ない。いや、どんな場合でも全く関係ないのだ。

さて、そのMJQだが、メンバーは以下の通り。

ミルト・ジャクソン:ヴァイブラフォン
ジョン・ルイス:ピアノ
パーシー・ヒース:ベース
コニー・ケイ:ドラムス

初期ドラマーはケニー・クラークだったが、コニー・ケイに替わってからが長く、MJQといえば上記メンバーを指すということで問題ないだろう。
ブルースの名手ミルト・ジャクソンが、端正な音楽美を追求したMJQにずっといたというのは奇跡に近いと思うのだ。ジョン・ルイスの提唱する音楽はジャズとしては制約がきついものなのだが、ミルトはむしろそれを楽しんでいたのかもしれない。
それはパーシー・ヒースにしてもコニー・ケイにしても同じだったろう。

ジョン・ルイスにはクラシック音楽(特にバッハやフランス音楽)に対する憧れがあった。
そうした要素をジャズに導入しようとしたことが新しい。しかも安易に既存の曲を使わずに。
さらに音楽面でのイニシアチブは握りながらも、一貫してフロントはミルトに任せていた。ミルトに対するジョンの信頼は絶大なものがあったのだろう。長い歴史の中では確執もあったろうが、音楽性を異にする両者が最後まで袂を分かつことがなかったのはジャズ界の奇跡のひとつだと思うのだ。

カラフルなミルトのヴァイブ、訥々とした語り口のジョンのピアノ、しっかりボトムを支える端正なパーシーのベース、キット・ドラム奏者の域を超えまるで打楽器奏者のようなコニーのドラム、どれかひとつ欠けてもMJQは成立しなかったろう。(実はコニーが素晴らしく上手いドラマーであることは声を大にして言いたいところだ)
彼らが遺した多くの作品は唯一無二の輝きを放っている。音楽性も編成も特殊だったこともあって、フォロワーは出てこなかった。文字通りワン・アンド・オンリーだった。

そのMJQのアルバムを再び揃え始めた。
今は一枚千円で買える時代。
音質さえ気にしなければ、アルバム数枚ぶんを収録した格安セットもある。(これについては近々話題にしたいと思う)

50年代のものはどれもが傑作。
60年代以降になると、もはやMJQのスタイルは時代遅れになっていたのだろう。モードでもなく、フリーでもなく、ただひたすら独自路線を突っ走る。それでもオーネット・コールマンの『Lonely Woman』をいち早く取り上げるなど、新しいものに対する姿勢は柔軟だったと言えるだろう。

敢えてMJQのアルバムを3枚選ぶとすると、Prestigeレーベルからの2枚目でコニー・ケイ加入後の『Concorde』(写真左)、Atalntic移籍後の『Fontessa』(写真中央)、映画のサウンドトラックとして作られた『No Sun In Venice(たそがれのヴェニス)』(写真右)だろうか。
ベストトラックということであれば、『Concorde』収録の『朝日のようにさわやかに』を挙げる。
前半のミルトの華やかなソロと対照的なジョンの訥々としたピアノ・ソロがいい。ためらいがちに語りかけるような、そんな雰囲気。そしてまるでスコアに書いてあるかのようにメロディック。テクニックに走らずとも、激しく盛り立てなくとも、素晴らしいインプロヴィゼーションを展開できることを示している。

余談だが、『Fontessa』まではモノラル録音。そしてモノラルの方が良い。
ステレオ初期のものは左右にキッチリと楽器が振り分けられ、それにどうも違和感を覚えてしまうのだ。
これはMJQに限らないのだが、あの当時はこれが画期的だったのだろう。

さて、ここまで散々MJQについて述べてきたわけだが、彼らが本領を発揮するのはやはりライヴだったろうと思うのだ。
彼らには『The Last Concert』という凄絶なライヴ盤がある。70年代後半、一時期解散していたことがあるのだが、その直前のコンサート。演奏者も聴衆もこれが特別な時間であることを知っている、そんな緊張感に溢れた中、凄まじい演奏を繰り広げるのだ。ミルトもパーシーも、コニーまでもが解き放たれた獣のようなプレイを披露する。それでもMJQという枠を逸脱することはない。ジョンのみがいつものように淡々とピアノに向かっている。これで最後という覚悟が伝わってくるような演奏ばかりなのだ。
それゆえそうしょっちゅう聴けるものではない。
そしてMJQはやはり生粋のジャズなのだと改めて感じるのであった。
完全盤が出ているので、また聴きたいと思う。

その数年後MJQは同じメンバーで復活する。
なんだかんだ言いつつも、四人ともMJQが好きなんじゃないか、と嬉しかったものである。
今はもうすでに四人とも鬼籍に入ってしまった。
私は丁々発止としたアドリブをやりとりするホットなジャズも大好きだが、MJQはやはり特別な存在なのである。
ジャズとクラシックは意外に近い、そんなことを教えてくれたグループでもあった。
2 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年12月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031