何を感じたのか私は急に般若心経を写経したくなり、黙々と書いていました。
次に気楽に持ち歩きたくなって、五センチの折り畳み式の般若心経を作ってしまった。
以前はよく覚えていたもので、心が落ち着いた。
耳なし芳一が平家の亡霊にビワを聞かせていたのを見て、心配した坊さんが全身に般若心経を書いてあげたところ、耳だけに書くのを忘れたため、亡霊からは耳しか見えなく、耳を命の代わりに持って行かれた。という話しが伝わるお経です。
あの三蔵法師さんがインドに行って写して来たお経です。
私は30年前にそのお寺に行き原本を見て来たから、ふと懐かしくなり三蔵法師さんを見習い写し作ってみました。
内容は哲学みたいで難解です。
この世にあるものはすべて実体がない。それを知れば何も恐怖もない。
実体が無いものだから苦しみもないのだ、彼岸に到達した者が悟りそのものである。と
難しいけど。
無と言う字の多さに引かれてみると、良寛和尚さんだったかな、欲を出したらきりがない、欲を捨てれば苦しみから逃れ楽になる。
食する時もお椀一つあれば、ご飯も汁もお茶も頂けるし、顔もすすげ、托鉢に出てお布施も入れられると。
実体のない世の中だから無になれとでも言っているのだろうか。
よく分からないが、まあ心が落ち着くのと、何かの導きを感じて作って見ました。
皆さんも写経をやってみてはどうですか。
ネットで般若心経と出せばすぐ見られますよ。
志は欲ではないよね、物欲がいけない苦しみの始まりだから。物体には惑わされるな。
あなた、ブランド品に引かれてませんか。
苦しみからまだまだ逃れられませんよ。
私もまだまだですけどね。
合掌
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