昔、石川三千花とか言うイラストレーター、映画評論家がいたけれども、欧米映画が昔より人気がなくなって存在が薄くなった。
先日、渡辺宙明氏が亡くなられたと聞く。結構彼の名前を知らないでも、彼がスタッフを努めた特撮をよく見ていた。彼と同じスタッフとして組むことの多い上原正三氏が亡くなったときも考えた。rip.
私がいまタイトルにしたような言葉は、野球漫画を連載した時の設問は使えないだろうね。サッカー、テニス、モータースポーツ、ラグビー、ゴルフでは、世界最強のプレーヤーをライト層に向けた報道でも連発している。あるいは日本以外の亞細亞のプレーヤーでは
一晩考えたけれども、テレビ局は、情報を発信するツールとしてネットに移行するんだろうね。独立u局や地方のテレビ局のダイレクトメールを自分のsnsに貼り付けていて思った。
サンデーモーニングのスタッフは自分たちがネット世論に評判悪いと思っても大丈夫だと思っているのだろうか。いわゆる頑固親父だけが味方してくれるから大丈夫なのだろうか。私は少なくともここにもあるサンモニアンチ板や擁護板にも加わりたくない。
最近考えるけれども、インターネットで色々報道されるから隱し事ができない感じがする。地方レベルの事も全国に広まってしまうって考えたことあったな。
母親に怒られると、自分が追い詰められるような気がする。注意している気持ちされた気持ちになる。お前なんてつま弾きにされる。お前はお先眞っ暗だ。母親が口にする怒りの言葉ばかりが耳に残って注意された感じがわかない。
個人的には江戸っ子気質てのは城東がつくり出した京都人に近い関東の伝統と格式みたいなものだと思うときがある。だけれども、彼らは電車がつくり出した風景に心が左右されることがある。半藤一利氏にあまり波長が合わないのはその電車がある城東地方という尺
下町と比べてうまくいかない地域がある。自分が馬が合うからつて、それで地域を値踏みしないで。京都人に何を言われてものらりくらりな人がいるのに対して下町人に値踏みされると困惑する人もたくさんいるから。
もしかしたら姫神は、民謡のこぶしとか嫌いそうな感じがする。時代背景的にロックやジャズを、今またリバイバルヒットのシティポップという時代だったら、そのこぶしを消すスタイルにしたかったのだろうな。
家では演歌は母親が嫌いなせいか、一種タブーになっている。その昔、民謡だから演歌に行くって動きがあったけれども、それって、民謡がジャズやロックに行くという動きを阻止していて、ジャズやロックのファンには好都合だったのでは。そういうことを言うと、
最近流行りのシティポップ、発表当時から比べると違った聞かれ方をしているようにも感じている。でも、シティポップだけれども、時代が作った音楽だと思っている。あの時代だから作り得たのだ。
弟の親友たちがどんなものでも受け入れていて、家族の代替になっていることをいつも感じている。それを言うと、母親は過去の亡霊に取り憑かれていると言った。母の言葉は恐怖を感じる。
ここを電子スクラップブックとして使ってはや幾年。独立u局や地方の新聞などの資料が閲覧できてなにか変わるだろうか。
鉄道が開通して150周年を迎えたと聞く。それは日本人の生活を豊かにしたのかもしれないけれども、ある地域の人を狂わせたのも鉄道だと思う。上野駅周辺は鉄道で繋がれた地域と自分たちが一体だと思い込みすぎている。そして、それに陶醉する考えがしばしば見
神戸紅茶、密かなファンである。でも、そこまで私は神戸を意識しない。それと、どうして未だに、横浜を舞台にした民放ドラマは多いのだろうか。