母親に怒られると、言い訳ばかり多くなる。何も反論できない。母親が言うように、人生は急転直下だと思ってしまう。
母親に怒られると、自分が萎縮して、自分が小さく、母親が言うように平氣の平左で馬鹿なことをやる人間に見えてきてしまう。
俺にとってアニメとはドラマと同じなんだろうね。アニメが好きな人がドラマをdisることが多い。テレ東のドラマ枠を潰してニュース枠にする情報を聞いたとき、30-35年前の夕方のニュース枠変更に泣いたときに近い。
昨夜のテレビつまらないらしかった。よく母親が変えるときがある。本当は変えた番組もつまらないくせに見ている。理由としては女はテレビはだれかとつながるために見ている。だから、変えながら写ったものを見ていると聞いた。
活字は読んでいる行動そのものがかっこいいと思っている人がたくさんいる。私の母親もそうだ。もし、今まで活字をたくさん読んでいたらそこまで、活字を読んでいる行動そのものがかっこいいと思わないと思う。私は活字から漫画を見出した時、活字を読んでいる
上野駅の周りへのあてこすり、あるいは皮肉、上野駅の周りが取つた行動の尻ぬぐいが隠されている言葉だ。城東の本家下町が抱え込んで、関東の近所に多少の傷を追わせたものがあるからだ。
母親は「私がズケズケいうからおまえはいるんだ」とか、「私はお前に鍛えられている」という。「私が怒っている言葉は正義。ありがたく思え」と思っている。
また、お皿を洗うときにお箸を皿の上じゃなくて地べたみたいなところにおいて怒られた。お前は言っても言っても改めない。と言われた。自分は死んだほうがいいと母親に言われると常に思う。母親に怒られていると、生きる価値が存在しないって感じる。