私は上野駅の回りの人が自分たちの「惡人の居ない街」に酔いしれて、それでモノサシを見ているのを上は東大卒のエリート・インテリから、下はチンケなブロガーまで見るケースが多い。
幕末に関して、半藤一利は西南戦争で終わると言うが、私的に近現代の始まりは、上野駅の成立で始まったと思う。特に關東はその傾向がある。
伝統的に、江戸東京は山の手と下町で成り立っているといいますが、どうも山の手はピンときません。物心ついたときから、下町のほかは渋谷と新宿の話題しか聞いたことがないので。
母親の言葉の「好みの問題」という言葉は逃げるための言葉だけれども、素直に好みの問題と考えられない、何かうまれ育つた時代を抱えていて苦手。
過日、進化論を否定する博物館がアメリカにあることを紹介した本が、書店に置かれていた。1970年代ぐらいまでは、こういう本は置かれなかつたと自分は推測する。ある一定の時期より下の世代のアメリカに憧れない世代が喜んで買うだろうと、推測して著者は載せ
mixiでしり合つた人、facebookでしり合つた人。両方インスタグラムにいる。