今までは自分の直接見た目が主な自己表現であった。しかし、様々なメディアが出現する中、SNSなどを含め自己表現の範囲が大きく拡大している。見た目も決しておろそかにしないが、SNSでの自己表現について整理することも必要、文字による表現、画像や動画によ
精神的乱れで体がおかしくなってきている。一体どういうことなのか、整えなおすために何をすればよいのか、精神的にも乱れている。心を落ち着かせよう。最初に部屋の整理から始めてみよう。
講義は自分の弱いところをさらけ出してくれる。画質の問題が起こっていることに気づかなかった。チェックする仕組みを真剣に考えたほうが良い、別アカウント作成が必要だ。これからチェックシステムを考えてみたい、講義をすると学ぶことが本当に多い、気づい
年老いた人が歩く姿勢、なぜあれほどまでに腰を曲げてアqるくのだろうと思っていたが、自分も腰痛が発生し、あの姿勢は伸ばすことができないため仕方なくとっている姿勢と分かった。本当に動かないと体が固まってしまう、固まってしまう時間が極端に短くなっ
日に日に体の状態は変わっていく、衰えるばかりではなく、回復やわずかながらの成長だってないわけではない。毎朝その日の行動を考えるときに体の状況と精神状況を把握し、今日はこの人格で暮らすことにしようと計画を立てる。成長しているときは新たにチャレ
どこかの時点で衰えが急激にやってくる。衰えが進行し、自分が衰えていることが認識できなくなる。すると、さらに衰えが進む、可能ならばこの期間を短縮したい、いつまでも自分の頭で考えていたい、私の趣味は考えること、行動すること、これを最後まで楽しみ
柏餅や羊羹など和菓子にはいろんなものがあるが最近の傾向として洋菓子に圧倒されている。これだけグローバル化が進み、和菓子が世界のお菓子と比較されると少し厳しいかもしれない、例えば落雁などまさしく砂糖の味をうまく表現しているが、この味が世界と対
プロトタイプともいわれるが、最初粗い品質で本来の目的に絞り切った製品を作成し、そうして、普及しながら、次々に精度を挙げていく、この製品開発方法は理にかなっているが、すべてにどう注意を払うかが大きなキーになってくる。今どうしても分業化が進みす
痴呆症気味の母をどう対応すればよいかという相談に「別人だと思いなさい、」という答えを出していた。別人と思うことによって自分を育ててくれた母親がそのまま残る。本人にとっても明日は自分がどうなっているかは何とも言えない、昔あった人と年老いてから
何が正しくて何が間違っているのかの解釈は時代の流れによって変わってくる。オーストラリアの政権交代によっていま中国抑止の動きに対し、どう変わるのであろう、一方、イヤホーンの分野で中国製が上位ランキング、今までソニーの牙城がなくなってきた。今ま
親戚のおばさんがなくなった。これで母方の兄弟はおじさん一人、本当に時はながれている。とどまることがない、よい子も悪いことも次々に展開していく、足をしっかりつけて自分の行動に力を入れたい、だんだんできることが少なくなる中で本当にできることをし
品物に国産という表示が売り文句のように書かれている。一昔前は品質をあらわす文字であった。しかし、今は必ずしも品質を表すものではない、電化製品を見るともう国産品なのかどうかより製品の性能主体、空気清浄機やTVなどはもうどこの製品なのかは関係な
集中力の欠如、考えているつもりで何も考えない、最近この態度が多く、あとから反省をする。反省するくらいならもっと集中力を高めておけと思うが、すこし、きもちがばらばら、落ち着きがない、短時間でも物事に集中する主観をつけたい、長い時間集中するのは
今お子様ランチに対抗する大人サマランチが出てきた。和食であれば懐石料理のように少量多品種の料理があるが、洋食系はうまさとボリューム重視でこれまではそんなもんだろうくらいに考えていたが、年齢がたつと少しだけ食べたい、美味しいものを多品種食べた
かつて病気した人や身近に健康を害している人が健康志向になりやすい、しかし、継続して健康志向も結構難しい、すぐ忘れて調子に乗って暴飲暴食になることもある。本当に一貫性がない、そして、いつも後悔をしてしまう。この繰り返しでそれを乗り越えることが
日本はなかなかEVが普及しない、そんな中、中古市場でEVが売れにくいという問題点が起きてきた。スタンドや中古になったときのEVが性能の落ち、これは中国のEVが経済性が高い、日本車のハイブリットの性能の良さで市場の動きが大きく変わる。最後はEVが普及す
本当だろうか、実際には想像していることが生活の中でたくさんあって、習慣として意識せずに過ごしているだけではないか、自分が考えていること意外なことが起きると慌てふためく、この衝撃が脳に残り、なぜ自分で予測できないのだろうという悔恨が残る。そし
生真面目に生きてきた。これからどう生きればよいか分からなくなる時期が来る。生きていればまだ、いろんなことがあると思えるが、どこかでもういいよという声がささやく、このことは病を抱えた人や重い問題を抱えた人には怒らない、ふと何もすることのない時
今日は一日雨ふりか、雨も決して嫌いではない、雨降りに行動するのもそれはそれで結構楽しいものだ。自然を感じる。よく山登りしているとき雨に降られると初めて自分は動物なのだと感じたり、どう濡れない方法を一生懸命考えたり、普段できない経験を積むこと
もう高齢化社会ではない、その上の超高齢化社会になってしまった。亡くなる人が増えるという警告のように最近では還暦近くの人の自殺も次々に起きている。かつては若者の自殺が社会問題として取り上げられたが、これからは高齢者の自殺も大きな社会問題になっ
プログラミングをするうえでどのバージョンを利用しようとしているのかということが大切な要件になってくる。GitHubが生まれたのもよくわかる。プログラミングの中でどの環境で作成し、プラグインを利用するときでもバージョン管理が重要になってくる。これら
ウクライナ侵攻が起きた時今を予想できたかというとできなかった。経済制裁で止まると考えたが、止まるどころか拡大するばかり、コロナもワクチン接種で収まるかと思いきや、withコロナで続くであろう、本当に先が読めない、ただ言えるのは先が読めないことを
出生率低下で先を見れば決してうそとは言い切れない、過去にはグローバル化により日本を経済大国に、ここにきてパンデミックとウクライナ侵攻によりグローバル化で生き残る道は消えた。今残っているのは人口の大きさだ。これからは人口の大きさが重要になって
長年利用していたものが壊れる。利用していると物に愛着もわいてくる。しかし、できるだけきれいに利用しようと思っても汚れが目立ってくる。さらに、落としたり、ぶつけたりしてひびが入ったり、書けたり、だんだん利用に問題が出てくる。できるだけ清潔に利
そんなことは年寄りの贅沢と言ってよいかもしれない、その原因は体の衰え、また、頭の衰えもその一つに数えられる。衰えをカバーする方法を考えられない、自分はできるはずだという妄想が起きる。自分の衰えの傾向を的確にとらえ、それへの対応策も考えていれ
型付けとか整理整頓などが面白くなってきた.目の前の雑然としたものを次から次へと片付けていく、複雑さを苦手で何も結論が出せないで終わる不安が苦手、できるだけ物事をシンプルにして考えなければ物事を考えられない。この思いが特に強い、まず、できるだ
体を動かす癖をつけたいが、なかなかできない、最近特に考え込む癖がついている。これは体力と能力の劣化に過ぎない、これに打ち勝つ最低限の体力と能力は自分に残っているのだろうか、知らぬ間にそこからもう抜け出せない状態に陥っているのではないか、不安
先日古いパソコンがもう使えないという動きをしていたので、1週間かけてメモリ整理をした。不思議と何とか利用できるレベルに動き出した。ある程度利用範囲を絞れば使えるようになった。まるで己の体のように感じられ、若いときであればすぐ捨てていたが、何
最近一人キャンプが流行りであるが、その気持ちよくわかる。昔山登りで一人でキャンプすると普段の人を観察しようとする感覚がすべて抜けて、焚火の火など眺めていると本当に安心感がなぜか湧いてくる。人はコミュニケーションは必要かもしれないけど、生きる