今まではできていたと考えるのは幻想だ。それより今できることが事実だ。つい自分の過去を美化してしまう本能が備わっている。美化した過去をもとに今できなくなったと嘆きだす。嘆いても何も始まらない、何の行動にもつながらない、それよりも今できることを
タバコも吸わない、酒もあまり飲まない、朝の散歩は欠かさない、食べ物には十分注意してる、それでも衰えはやってくる。逆行できる例は筋トレくらいしかないのか、今までの繰り返しでは必ず衰える。老いて成長させることできるものは何であろうか、学びも今ま
以前は仕事で必要とするものを探して実際に使い上手く効率が上がるかで判断していた。最近はある想定の下に利用のしやすさを判断しているので良い判断が下せない、何事もマイナスに考える老人思考に一歩踏み込んだのか、利便性をアピールする場が少ないからも
今まで様々なアプリを駆使して自己便宜を図ってきた。一番大きなものは翻訳機能かも知れない、youtubeでリアルタイムに英語圏の文化に入っていける。翻訳機能も役に立つし、昔ほど英語に対して肩を張らずに受け入れるようになった。しかし、PCで対応すること
様々なアプリが現れ、そして消えていく、新しいアプリが使えるか使えないか試すと本当にいろんな機能が盛り込まれている。試しているとき機能が多すぎて何が良いのか分からなくなったり、昨日同士のつながりが良くって使いやすくなったことを発見することもあ
高齢者が増えるとそれと同時に訃報も増加する。毎日誰か有名人の訃報が流れる。惜別の言葉がニュースとなり、徐々に訃報に慣らされて、次は自分かもという覚悟みたいなものが頭をよぎる。悪いこと良いこと関係なく運命はやってくる。そんな意味で他人の幸不幸
なにもしなくてもよい、頑張ってもよい、時間は常に流れている。コロナやウクライナ侵攻も助教は様変わり、解決せぬまま次に進んでいる。ここにきて何が起きても受け入れなければいけない、逆に自分の好きなことをやればよいと考えた時、自分の好きなことが何
今度は松本零士氏の訃報か、本当に人生の終わりはいつ来るかわからない、その中で若宮さんの挑戦することへの楽しさを書いた記事が載っていた。87歳で人生を謳歌している。生きていることに自信を持っている。一言で高齢者はどうあるべきかを言うべきではない
今まで無意識にできていたことが段々できなくなってくる。大匙いっぱいを加えることができなかったり、自分を制御することができなくなって、それが度々起こることから気にしなくなったり、着々と衰えは進んでいるのであろう、認識することさえできなくなるの
人の行動はほとんど無意識の中で行われる。脳活動で意識される部分は少ない、年齢とともに立っても転ぶことがあるという記事があったが、これは立ちながら足の筋肉は無意識でバランスをとっている。年とともに無意識の中にも劣化が起こりうる。立っているバラ
思考途中放棄が多くなっている。落ち着きがない、日ごろから調子のリズムが下降期に向かっている。どう打破していこうか、身辺の整理から開始しよう。この頃自分の周りを整えることがおろそかになっている。整った環境からしか良い思考は生まれない。もう少し
朝、目が覚める前にいつもと異なる考えが浮かんでくるような気がする。起き上がったときにすぐメモが取れればよいが、朝のルーティンをしているうちに忘れてしまう。個々をうまくとらえる方法はないのであろうか、この時の脳波を図って自動で目盛ってくれる方
chatgptをいろいろ試してみたいと考えているがなかなか機会がなかった。OneNoteが上手く使えていなかったのでchatgptへ問い合わせるとまともな答えが返ってくるし、追加質問ができる。この機能が本当に便利、翻訳したり、要約したり、便利で役立つ、さらに言
新しいものが出るとすぐそれを取りれるか考えすぐ検討するが、今まで検討していたことの多くを忘れてしまう。今検討し始める時その課題に取り組むあまり、今までの整理ができなくなっている。今何を検討しているかを記録に残す癖をつけたほうが良い、日々効率
若いときは日々出会いが多かった。しかし、年を取るとともに別れも急激に増えだす。最初は感情的にどうしようもないやるせなさに打ちひしがれたが、いづれ自分に来るこの世との別れが来ると思えばこの感情に浸っていられない、みんな頑張って生きている。生き
物欲がなくなることは歓迎だが、それに伴って意欲もなくなる。何かに臨もうとする力が消えていく、極端ではあるが生きる意欲さえ消えてくる。頭の中でもういいよと叫びたくなる。日々、この葛藤、今は学びたい、知りたいという意欲だけで生きている。もう少し
朝を着た時感じつ寒さは色々、体の調子にもよる、今日実行するタスクにもよる、そして、その日の天候(天気予報含む)にも、色んな感情がまじりあって今日は寒いと以下、この寒さ気持ちよい、と感じる。感じる強さも変わってきている。日々状態は変化している
昨日から雪交じりの冷たい天気、温かくしていても体が動かない、沖縄の人が長生きなのも理解できる。やはりヒートショックもあり得る。できるだけ暖房は動かしてはいるものの所々で寒いと感じるところは出てくる。渡り鳥のように夏は涼しいところ、冬yは温か
問題に取り組む姿勢で年齢とともに純粋に解決しようと考えるよりもし、解決できなくても仕方がない理由を探す癖がつきやすい、問題を解く前に逃げ道を探して取り組む癖がつきやすい、常に自分のプライドを保ちたがる。プライドを保つ代わりに何事も真剣に向き
考えているふりをしていることが多くなったように感じる。これは過去にも考えていた。行動しないまま忘れている。次の問題を考えているうちに思い出しまた、混乱しだす。考えたことはタスクとしてメモる。行動に移して結果を記録する。この記録が残ったことが
人生どこにピークがあるかわからないが年を取るとほぼ下り坂の範囲に属してくる。体力と集中力が極端に衰えたと感じる。これからは自分なりの工夫でどう盛り返していくか試してみるのもよい、下り坂をこれからどう楽しむか考えるのもよい、踏ん張ったり、休ん
先のことなど考えないと言いながらもいつの間にか考えてしまう。先の不安は生きたい証でも不安を抱いても何も解決してくれない、それよりなりたい自分をイメージしたほうが自由だし、そのために今何をすべきかのスタートにもなる。将来の理想と現実の行動を小
自分を主張するものは何、と問われると何だろうと考えこんでしまう。働いているときは価値観が明確だった。引退すると何が価値観か見えづらくなる。生活していることが価値観なのか、社会へどう貢献するつもりなのか、明言できない、人の価値観を批判している
ちょっとした動作が思い撮りに行かない、手からものが落ちてしまう。だからと言って生きることをやめるわけにはいかない。自覚はしよう。いずれ自覚もできなくなる。少しでも行動する機会を増やすことが最大の防御策、とどまればさらに悪化する。年を取ったら
いたるところで不調が起こる。そのたびに色々悩みだす。その割に何も解決せずに次の不調が発生する。結果、悩んだり、嘆いたりする時間だけが残る。そんな時に体を動かすことによって解決できることがある。特におなかの不調は歩いたり、場合によっては腹筋し
力まない生き方を選択し思うことは感動が少なくなったと感じる。そこでルーティンに楽しさを見つけて行こう。毎日が繰り返すことへの感謝と今を実現できたたくさんの人への思いを生きる糧にしたい、それでもまだ、自分は成すべきことがもう少しあるのではとい
AIとスピーディなコミュニケーションがとりたくてもう一度、ブラインドタッチに挑戦、どうしてもキーを見てしまう癖がついて上手くいかない、さらに頭の回転も少し鈍っているのか、ここはあきらめず時間をかけてでも踏ん張りどころ、タイピングと思考のバラン