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日記一覧

校長先生、また、怒る。
2015年11月29日21:58

震災後一週間ぐらいになると、事情を聴きに区役所から職員がやって来るようになりました。ふたり一組でやって来られます。どんどん毛布やふとんがいるで、ストーブがいるで、とか、先の見通しを早く決めてください。住宅はどうなるのですか、というようなこと

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戦友!
2015年11月28日22:14

私が家に帰ったので、校長にも家に帰ることを勧めました。校長は、私も家は無事だとわかっていますから、大丈夫ですと言われて帰られませんでした。思えば、おにぎりを半分ずつ分けて、お互いにヘビースモーカーのふたりが煙草を分けて、「戦友やで」と抱き合

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大丸に行って、帰ってきて、ふと家のことを思いました。地震後、わが家は無事だったので、しばらく学校におるで!と小学校に入りびたりでした。家に帰ると、家が全壊した妻の父母がおりました。慰めの言葉のかけようもありません。地震直前の12月に、マンシ

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「尋ね人の時間」
2015年11月26日20:42

昭和30年頃まで、NHKでそういう番組がありました。「元満州国大連市大和ホテルの裏に、昭和19年頃まで住んでいた浦上忠文さんをご存知の方」というようなことをアナウンサーが延々と述べられます。御影北小学校でも、避難されている方の名簿をきちんと作

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御影への帰りしな、気になっているところへ立ち寄りました。まずは、広告でお世話になっている神戸新聞。新聞会館。地震翌日の朝刊は、京都新聞に原稿を送って編集し、西区かどこかにある印刷所にメールで送って発刊した、という話をきいていました。新聞会館

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たった一回の外食。
2015年11月24日16:59

立ち寄った「コム・シノワ」というレストランは、かって山の手の「ジャンムーラン」下町の「コム・シノワ」と、神戸を代表するフランス料理店として名を成した店であります。「コム・シノワ」のシェフは、極貧の少年時代を送っています。傘がないので、雨が降

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やれることを、やろう。
2015年11月23日20:57

大丸神戸店の帰りしな、店をひと巡りしてみました。どう見ても、少し傾いて見えます。頭の中を、考えが巡ります。こんな神戸では、壊して再建するのは難しいかも知れないなあ。そうなると、わしの一生はどうなるのやろ。我々社員は、大丸のこっちゃから何とか

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「今頃、何しに来た!」
2015年11月22日17:18

一週間経ったとき、そうやわしは大丸の会社員やったんや、と、ふと我に返りました。2時間歩いて、大丸神戸店に行きました。お店の建物は、被害がひどく入れませんでした。駐車場に、事務所が作られていました。店長に会いに行くと、体育会系の店長は「今頃、

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廊下のかどで、お母さんが小学生に語っている声を耳にしました。かどに行かんと、耳をすましました。「わがまま言っては、あかんよ。家は潰れてしもたけど、人生にはそんなことは、誰でもがあることなんよ。お母さんもしっかりするから頑張ろ!」子どもを抱き

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10月の初めから、わがブログは、20年前の「阪神淡路大震災」のことを小説風に書けという、わがウェブのメンターの指示によって、そのように書いています。私の文章は、時系列ではなくて、あちこちしますので、そのことに不満を言われる方もおられます。あ

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今日の午後、地元の区民ホールで、東灘区「防災・安全」のつどい、が行われました。防災功労者の表彰式の後、例年ですと、漫才とかと、神戸市消防音楽隊の演奏があったりします。今年は、趣向が変わっていました。「学園都市交響楽団」の演奏で、東灘区連合婦

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神戸市北区の、被害のなかった小学校の音楽の先生が、バイオリンひとつ持って慰問に来られました。去年先生になったばかりという若い女先生でした。教室をひとつ空けて、ミニコンサートを開催しました。ふだんでも聞けば涙の出がちな「故郷の廃家」という曲を

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校長先生は、小学校5年生の時に遭遇した「昭和南海大地震」の話を繰り返されました。先生は、和歌山の出身です。地震の被害と、津波の被害を受けておられました。あとは、戦争中の話です。戦後の食糧難の話です。校長先生の話に、私が付いていけるのは、戦後

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有馬温泉に、行く。
2015年11月16日20:18

地震から、ちょうど一週間目に、中年の元気な男先生が、「校長も、会長もお疲れさんです。風呂に入ったら疲れ取れまっせ。有馬に行きましょ」と、強く誘いました。校長先生は、これだけ避難されている方が、誰も風呂に入ってないのにそんなことは出来ませんと

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それは、避難された方からの疑問や、打ち明けられた問題を書き込む模造紙でした。これには、まいりました。「寒いけど、なんとかなりませんか」「もっとあったかい食べ物を頂けませんか」「いつになったら、ここを出れますか」「家を無くした人と、家が無事で

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予想されることを、書き込むことにした。「被災者が溢れる時は?」隣の頌栄(しょうえい)幼稚園にお願いしよう。後で、校長があいさつに行くことにしよう。「トイレがプールの水で流れるやろうか?」それは、実験済みです。OKです。「けが人は?」甲南病院が

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校庭で、校歌を歌う。
2015年11月13日17:41

その朝、真っ先に学校にやってきたのは、用務員さんでした。壮年と若者のふたりです。それから、授業があるものと、いつも通りに六甲山を越えて通勤していた北区の女先生。校長先生。垂水からやってきた教頭先生。そして、私。校長室に集まって、これからどん

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校長先生の家は、長田です。東灘区の御影の小学校に来られたのは、9時でした。早足で歩いて3時間はかかります。ということは、あの地震直後に、家を出られています。よくぞ、来られたものです。私の家の近所は、壊れた家が無かったので、その日午前、中央区

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「あなたは、蝶々やったんですか」と、校長先生が茶々を入れました。ふだん厳格な校長が言われたので、皆が、どっと沸きました。PTAの学年委員が決まり、御影荘という地元の旅館で、PTAと先生方との懇親会を行っていた時のことです。地震の前年、7月です。校

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校長との出会い。
2015年11月10日22:33

あの阪神淡路大震災前年、5月に、私はPTA会長に推されてなりました。なんで、なったのか?私の妻が、PTAの役員でした。新聞とか雑誌とかを集める委員だったのですが、月に一度、集める日が水曜日でした。その頃、私が勤めていた大丸というデパートは、水曜日

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避難所には、家が全半壊されて避難されている方と、余震が怖いから避難されている方と、食事が出来ないから避難されている方のみっつの形がありました。余震が怖い方というのは、校舎にも入らずに、校庭の車の中で、夜を明かす家族が、たくさんおられました。

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ちょっと、中休み!
2015年11月07日18:23

10月から、私のIT環境を整えてくれている若者から、あの阪神淡路大震災からの浦上忠文を小説風に書きなはれと言われて書き始めています。今の文章の進捗状態では、今の私の歳に追いつくのに、20年ぐらいかかるような気がします(笑)それほど、重い一日一

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変わった、校長先生。
2015年11月06日22:02

校長先生は、60歳。その3月の卒業式を終わられて、無事退職の方でした。私は48歳。校長先生と、干支で、ひと回り下でした。ですが、幼いころの貧乏暮らしについては、まったくもって同感でした。白いご飯があるだけでもありがたい。小学校の頃の、給食の

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夕焼け小焼けを、歌う。
2015年11月05日18:08

私は、夕焼け小焼けの歌を歌い始めました。夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘がなるお手手つないでみな帰ろ烏もいっしょに帰りましょある日、校長室で、仏教にくわしい先生が、この歌は、簡単な歌のようであって、すこぶる深い歌なんです。と、話してくれ

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改めて、校長先生の涙。
2015年11月04日21:19

亡くなった4名の児童の家巡りをして学校に戻ると、校長先生が、どうでした、と尋ねられました。姉妹のところでは、同じ文化住宅に住んでいた近所のおじいさんが大泣きをされていました。3年生のK君のところでは、近所のおばさんが潰れた文化住宅を指さして

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3日目だったと思います。校長先生から住所を聞いて、亡くなった児童の家を訪ね歩きました。3年生と1年生の姉妹が亡くなった家では、2階に住んでいたよそのおじいさんが、「おじいちゃん、おじいちゃん」となついてくれていた、あのかわいい声が忘れられな

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震災から3日ほどは、うつらうつらしてるだけで、寝ていません。昼となく夜となく、どんどん被災者の方がやってこられて、部屋の整えやら、寒いことへのおもてなしやら、水や食べ物への奔走で、なにがなんやらわからないうちに、時間が過ぎていきました。晩に

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「飲み水がなくて、困っています」ある夜、幼い男の子を連れた父親がやって来られました。ペットボトルの水は、かなり早くから救援物資として届き始めていました。一本差し上げると、たいそう喜んでおられました。「500円しかないねん、泊めてくれへんか」

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避難されてきた少年野球の指導をしておられたkさんから聞きました。M君の弟さんが亡くなったことを。1月15日に少年野球の会合があり、M君は、めでたくエースナンバーを貰いました。それが1月17日の早朝に消えてしまったということであります。M君、どん

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ボランティア。
2015年10月30日20:42

地震後、3日目ぐらいから、おっちゃんやら、おばちゃんやら、大学生が、手伝いにやって来られました。校長先生は、目を白黒されています。「あの人たちは、どういう人ですか」と、訪ねられます。「ボランティアと言って、手伝いたいとやってきておられるので

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