自分は幼少の頃から放浪癖があって親にあんまり縁のない少年時代でしたが、それでも今まで限り誰かの世話になって、誰かのご縁で生きてきたと思っています。人間って生きている限り誰かの世話になり迷惑をかけているものです、銀次郎はそれを痛感しています。
怖いおっさんがいなくなった今自分は浮浪児として、家出少年として、昭和を見てきたけれど、星一徹みたいな男、自分の小さい頃にはけっこういた。やかましくしていると「・・なにしとるんならおんどれ!」ゴミをすてると「・・町を汚したらあかんやろ!!」そ
銀次郎の少年時代、田舎に住んで不登校になり、家出してしまったことは何度か書いたが、田舎ほど立場の弱いものにとって暮らしにくいものはない。家出して数日経つと「・・XXのところのスーパーで米がいろいろなくなったそうじゃが、あれ銀次郎じゃけな」だと
自分は男は口下手でいいと思っていた。薩摩隼人に憧れたときもあり、西郷だとか、東郷だとか、下手したら一日に2−3口しか発しない男達の逸話を聞いて、自然に男とはそれでもいいのだと思っていた時期が合った。口巧者などろくなことにはならない。それがTV
日蓮が言ったという。仏教(法華教)について、「火のごとく信ずる人あり、あるいは水のごとく信ずる人あり。」日蓮の言うように人によって二種類いるようだ。火のように崇め時には他者を攻撃する人と、水のように自身を昇華させるため信心する人と。日蓮は続
自分だって決して善人ではなかったのだから、慈善事業をするなとはいわない。罪滅ぼしのために、自分自身に挑戦するために、少しでも人が喜ぶことをしようとする心は理解できる。しかし彼らは現在進行形で反社団体である。右手で覚醒剤など違法薬物を売り、左