怖いおっさんがいなくなった今
自分は浮浪児として、家出少年として、昭和を見てきたけれど、星一徹みたいな男、自分の小さい頃にはけっこういた。
やかましくしていると
「・・なにしとるんならおんどれ!」
ゴミをすてると
「・・町を汚したらあかんやろ!!」
そんな風に叱られた。
星一徹を語るとき、今の若い人には、一言いっておかないといけないんだけれど、星一徹のあの頑固さとスパルタさ、よくパロディにされるようなあの姿は一面でしかなくて、息子である星飛雄馬を進学させるため、割がいいからと夜のドカタ作業にでるような、しかも弁当は白米だけのそれで出かけるような、そんないい父親でもあったのです。
実際、昭和にはそんな男達日本にはたくさんいました。
子供を叱るときは悪鬼のように、その声は雷のように響き渡る、そんな男達。
反面自分に試練を与えることを躊躇せず、男は人生において一事をなせば事が足るとでも思っていたような男達。
実際こんな男達がたくさんいたおかげで奇跡の経済復興が成し遂げられた、そんな一面も日本にはあるわけです。
東京タワーが建設されたとき、あの周辺はタワー建設のためのドヤ街さえあって、粗末なバラックがたくさんあったそうです。
今は泡銭稼いだ若い者が天下とったような顔してあのへんに住んでいますが、東京タワー周辺は半世紀ぐらいまえまでそんな風情だったんです。
そんな場所で働く男達ですから、子供達を叱るときにはたとえ他人の子供であろうと容赦しません。
何しろ戦後生き残った男達です。
彼らは言葉ではなく皮膚として知っているわけです。
男とは泥の中で育ち、涙と悔しさで前進し、今日人に笑われることで、未来のなにかを掴む、なんな生き物だと。
前置きが長くなりましたが、そんな星一徹みたいな男たちですから、彼らが元気だった昭和50年代ころまでは、むちゃくちゃ怖い存在でした。
銀次郎の世代は、そんなこわいおっさんに囲まれて育った世代なんです。
でも現代に目を移すと、今の子はそんなことありませんね。
レストランで小さい子供達が走っていても、親は注意しません。
電車では優先席に学生服の子供が座っています。
昭和30−40年代だったらどうでしょう。
おそらくレストランに必ず何人かいるであろう、こわいおっさんに雷神のごとく吠えられていたはずです。
彼らの多くは自分にも厳しい人たちだったので、体中から出る風格も今のおっさん達とはくらべものになりません。
いざとなれば、会社も、自分の人生さえ投げ出せる、そんな覚悟さえしていたおっさんも中にはいたのです。
旧軍出身者までいた時代です、実際銀次郎も多くのおっさん達に叱られて今日があります。
当時は反発したときもありますが、やっぱり怒られといてよかったな、今そう思います。
話が長くなって恐縮ですが、今はそんなおっさん達がいず、かえって子供達はかわいそうだなあと思っています。
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