11時43分に高鴨神社に戻り、せっかくなので嫁号のお守りシールを購入しました。このヤタガラスはフロントバンパーに貼りました。因みにリヤウィンドウには熊野本宮大社のヤタガラスを貼ってます。
高鴨神社へ戻ります。11時32分に風の森神社に到着し、11時34分に発ちました。帰りに別の道を通りました。途中、道標を発見。
境内に天誅組の石碑があります。縁があるのかな?お墓の方にはかなり古そうな墓石がありました。討幕明治維新の魁天誅組布陣百二十年記念初秋の爽やかな、風が吹き抜ける時、吉村虎太郎の率いる天誅組第二隊の藩士は到着し陣を布いたのである。そして、鎖国日
本社は、御所市大字鴨神、旧高野街道 風の森峠に位置しています。御祭神は、志那都比古神をおまつりしています。志那都比古神は風の神であり、古事記、日本書記には、風の神に因んだ事柄が記載されています。又、葛城地方は、日本の水稲栽培の発祥の地ともあ
石段を上がってみるとお堂とお墓。その奥に更に石段があり、それを登ると風の森神社がありました。小さなお社です。
11時8分に高鴨神社に到着し、11時18分に発ちました。これから風の森神社(志那都彦神社)へ向かいます。はっきりした場所が分からないので探しながら歩きます。振り返ると金剛山、葛城山が見えます。しばらく歩くとそれらしい石垣が見えました。
境内に沢山のさくら草があります。高鴨神社のさくら草は有名です。でもこの日はまだ3月なので、花はまだまだ早かったです。
境内の石垣に石燈籠があります。これは有名な話で、僕も何度もブログに書いています。誰がどう見ても灯篭に見えます。という事は意図的にこう作ったという事ですよね?何故?どういう理由で?気になります。
境内に楠正成像があります。そういえば神社の紋が菊水だったな。しかし楠公が高鴨神社とどう関係があるのかは分かりません。
御由緒にはこうあります。この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神としていつきまつった社の一つであります。『延喜式』神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名神大社で、