【夫婦仲に関する調査】最も幸せを感じる夫婦は「2歳差」、男女ともに自分が年下の方が幸せと回答
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=95&from=diary&id=8566309
うちは干支1周り違うが、完全に奥さんに尻に敷かれている「幸せな奴隷」状態です(自爆)。
まぁ、誰が何と言おうが「惚れちまった物は仕方がねぇ」というもので。本来反出生主義で子供はいらないと言っていた相手を口説き落として子供を得ているわけれ、私のおしゃべりスキルはこの時点でもう役目を果たし終えているとすら思う。
さて、某所の掲示板からの転用から私の持論につなげていきましょうか。
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『海潮音―上田敏訳詩集―』
https://www.shinchosha.co.jp/book/119401/
幸福はどこにあるの?とお悩みのあなたにお勧めの本です。
昔は教科書にも載っていた『山のあなた』という詩が掲載されています。
【山のあなた カアル・ブッセ】
山のあなたの空遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。
噫ああ、われひとゝ尋とめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。
山の向こうに幸福があると人が言うから、行ってみたけど見つからなかった。そうしたらあなたが行ったより、もっと向こうに幸福があるんだよと言われました、みたいな話だと思います。
適当に4つの解釈を考えました。
�/佑妨世錣譴燭茲Δ帽�福はもっと遠くにあるから、探し続けよう!
�△い筺�幸福は遠くにあるものではなくて身近にあるよ!
�9�福は探すものじゃない。自分で創るものだよ!
�い修發修盥�福なんて世界の何処にもないよ!
無駄なことは止めよう!!幸福なんてなくても生きていけるよ!
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で、私は「�ス�福はすでにあるものを感じ取れるかどうか」ですかね。
��のように作るでもなく�△筬い里茲Δ肪気垢任發覆�
「すでにあるもの」です。龍安寺のつくばいにある「吾唯足知」に近いかなぁ。
幸福論を考えるうえで絶対に考えないといけないのが「不幸」の解釈でしょうか。
さすがに私とて不幸や苦痛や困難の存在は認識しています。ただ、反出生主義者のように「だから不幸だ」「不幸からは逃れられない」とは
あまりならないというか。
何も好きこのんで不幸や苦痛や困難に突撃したいというマゾ気質はないんですが、
「なっちまったら仕方ねぇ」と腹を据えて取り組もうという意志があるというか。
不幸や苦痛や困難は「人生の妙味(スパイス)」「「自分が幸福になるために打ち倒すべき敵キャラ」って感じですかね。多すぎるのは勘弁ですが、まぁ多少は必要というか。スイカにかける塩みたいなもので。
たとえば登山を考えたとして。
登り坂の苦労は当然あるわけです。
「だから不幸だ!」とそこですぐに感じるのも間違いではない。
実際に登り坂を登るのは苦しいという事実は私も認めます。
ただ一方で「これを乗り越えるからこそ、山頂の眺望を素晴らしいと思えるんだから頑張ろう!」と思うのも決して間違いではない。
どちらかが絶対的に正しいというものではなく、単なる思考なので「どちらを選ぶか?」という選択肢はあり、私は私にとって心地よいから後者を選んでるわけです。
前者もロジックとしては正しいんです。ただ、「自分が幸せで在りたい」ならばわざわざ選ぶべき選択肢絵はないし、後者一択かなと。
逆に悲観論者にお聞きしたいんだけど、すべての心配事や痛みや苦痛がない人生だったら
楽しいと本気で考えてますか? 単に歩くだけも不幸ですか?
極端な話「息をするのもめんどくせぇ」とかなりませんかねぇ?
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