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2026年10月06日05:40

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シャカの掌

孫悟空は、自分の飛行能力に絶大な自信を持っていた。
そして宇宙の果てを目指して飛び、ついには一つの壁に行き当たる。 悟空はそこに「ここまで来たぞ、孫悟空」と書きつけ、意気揚々と戻る。
ところが釈迦は自分の掌を見せる。 そこには、ちゃんと「ここまで来たぞ、孫悟空」と書いてある。
悟空が宇宙の果てだと思っていた場所は、結局のところ、最初から釈迦の掌の内側にすぎなかったわけだ。

この話で思い出すのが、あるゲーム『イルミナティ』である。
秘密結社どうしが権謀術数を尽くして世界を裏から支配し、勝利条件を満たした者Aが「勝利だ」と名乗る。
だが、その瞬間に「いや、本当の勝者は私だ」と現れる者がいる。
そこには「Aが一位条件を満たして勝利を宣言する」と書いてある。
つまり、お前が勝ったこと自体が、すでにこちらの予言の成就なのだ、という理屈である。

そして、そういう芸風の総本山のように思えるのがベネ・ゲセリットである。
「私たちはずっと前から見通していました」 「歴史は予定通りに進みました」 「あなたの勝利もまた、私たちの掌の上です」 という顔をする、あの連中である。
F・ハーバートは、この種の鼻持ちならなさを、どこまで意識して書いていたのだろうか。

私がシャカやベネ・ゲセリットを鼻持ちならないと思うのは、そこにしばしば、後出しの匂いを感じるからだ。
本当は、孫悟空がどこまで飛ぶのか、どの秘密結社が勝つのか、内心ではおろおろしていたのではないか。
飛び先にこっそり手を伸ばしておいたり、あるいはどの結社が勝っても辻褄が合うよう、全てのケースに対応した予言書を何通りも用意しておいたりして、結果が出たところで「ほら、あなたは最初から私の掌の上だった」と帳尻を合わせているだけではないか。

もちろん、それを本当にやり切れるなら、それはそれで大したものではある。
だが、後から見れば何とでも言える構図を、あたかも絶対知の証明のように振る舞われると、こちらとしては少々白ける。
全能者というより、負け筋を消すのがうまいだけの策士に見えてしまうのである。

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