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2026年08月11日00:23

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不幸はスイカにふりかけた塩くらいにおもうのがちょうどいい

ネガティブなのになぜか元気が出る シオランの言葉が現代人に刺さる理由
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=90&from=diary&id=8893663


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「幸福を味わおう」

反出生主義者の主張に対する反駁というか感想を考えていたら
「彼らと私の人生観の絶対的な違い」は
特に不幸や困難、苦痛への向き合い方にあると思い至った。

よく目にするスープの例えだと、「スープすべてがおいしい(=幸福)だとしても、
そこに一匹ハエ(=不幸)が入っていたらスープのおいしさも含めてすべてがダメになる」という「不幸優位の完全上書き理論(ハナー命名)」が特徴的だ。

スープが御猪口一杯かバケツ一杯か風呂一杯かで幸福と不幸の比率は大きく変わると思うのだが、なぜか彼らは海原雄山のごとくすべてのスープをひっくり返さずにはいられないらしい(違)。

私の場合は「ハエ(不幸)と接する部分だけつまみ出して残りは飲む」なので、不幸のダメージをわざわざ大きくする必要はないと思っている。まあハエが落ちたタイミングや攪拌されたかどうかなどでも変わってくるかもしれないが。

私の奥さんの場合「衛生管理(特に子供の服)」や「投資の元本リスクへの忌避」などに
その反出生主義的な考え方が如実に表れている。

なんというか「不幸」「苦痛」が発生するとその時点ですべての「幸福」「快楽」がゼロ扱いされて上書きしてしまう考え方。だから不幸や苦痛が不可避な時点で、人生すべてが苦行になってしまっているみたいだ。ずっと残機ゼロ状態の考え方なんですな。

反出生主義者は「生まれてしまったからには、わざわざ自害するのも苦痛なので少しでもマシになるように人生を送りたい」と言いながら、そもそもその反出生主義的な思想を持っている時点で「どうあがいても不幸から逃れられない」わけだ。

私とて「苦痛」「不幸」を原則避ける努力はするが、いざ喰らってしまったらいかに瞬時に瞬間的に「切り替えられるかどうか?」だと思う。

7年ほど前の冬に全力疾走中にアスファルトで思いっきりコケて両手両膝顔面にまで擦過傷をこさえたことがあったが、あまりの痛みに家で鏡を見ながら思わず笑っていえるのを妻に見られて、「こけたときに頭部を打っておかしくなったんじゃないのか?」と本気で心配されたことがあるのを思い出した。

正解は「頭部は打ってないけれど『もともと』おかしかった」なのだが(笑)。
傷口に入った砂利を自力でとり切るのはさすがに辛すぎて笑っていたわけだが
妻にはついぞ理解してもらえなかった。

妻「つらい時になんでそんなに笑ってられるわけ?」
私「つらい時にこそ笑うしかないじゃん。辛いから泣くなんて大多数の人と同じ反応はイヤだし、泣くか笑うかの選択権がある限り、私は笑うかなぁ。笑える余裕があるという確認でもあるし」

たぶん、「もっとしんどい不幸」が来たら、さすがに私とて完全無効果はできず泣くと思うが。

たとえば「親しい人々の死」はさすがに無効果できなかった。あれはツラい。

ちょっとした不幸や苦痛、困難は人生のスパイス、スイカにかける塩くらいのものだ。
起伏のない物語はつまらない。起伏そのものを楽しむ視点を持ちさえすれば人生はそんなに悪くない。すべてが良いとまでは言わないが、少なくとも「反出生主義者が見ている人生」とは比べ物にならないくらい「実りの多い人生」を送れると思う。



私は今後の人生を今までと変わらず「領域分類」「観察」「ナルシズム」の3つを武器に
不幸や苦痛を「ほぼ無効果」しながら、引き続き全うするつもりだ。
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