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2026年07月29日06:50

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権威のアンチが権威を纏ってしまった漫画――『美味しんぼ』

作・雁屋哲、画・花咲アキラ『美味しんぼ』は、1983年から2014年まで『ビッグコミック・スピリッツ』に連載され、単行本は111巻に及ぶ長寿作品である。
『ビッグコミック・スピリッツ』自体は、その3年前に創刊された。

私は創刊号から、高橋留美子『めぞん一刻』を読むためにスピリッツを買い続けていた。
その『めぞん一刻』が大団円を迎えたあとも、なお『美味しんぼ』は終わっていなかった。
しかも、福島第一原発事故後の、いわゆる「鼻血騒動」で大きな論争を呼び、休載にまで至った。
「まだ連載していたのか」と思うほど長かった、というのが正直な印象である。

主人公の山岡士郎は、父・海原雄山への強い恨みとトラウマを抱えている。
母を事実上すり潰したのが雄山だ、という思いが彼の根にある。
その山岡は東西新聞社の文化部でぐうたら社員をしているが、食に関する知識と鋭敏な味覚を買われ、同僚の栗田ゆう子とともに新聞社の企画「究極のメニュー」を担当することになる。

初期の『美味しんぼ』には、いま振り返っても評価すべき点が多い。
本物志向、天然志向、食材への敬意、工業的な加工と味つけへの批判。
そうした問題意識は、当時としてはかなり鮮烈だった。
しかも時代はバブルのただ中で、世界中の食文化を題材にできる空気もあった。
『美味しんぼ』がきらきらと輝いていた時代は、たしかにあったと思う。

私自身、この作品の影響をかなり受けた。
たとえば「中華料理症候群」の回。化学調味料の使いすぎで味覚がおかしくなる、という話である。
あの回の影響で、私は味の素、つまり人工のグルタミン酸ソーダをやめた。
そして今でも、ほとんど使わない。

アニメ化もされ、実写映画(山岡=佐藤浩市、雄山=三國連太郎)も、ドラマもあったと記憶している。
それだけ、この作品が一時代を画した漫画だったことは間違いない。

当時の私はその主張にかなり影響を受けたし、化学調味料を避けるようになった。
だからこそ、数十年経った今になって見直すと、一面的だった部分も見えてくる。
たしかに「自然なもの」「手をかけたもの」「本来の味」を尊ぶ姿勢には説得力がある。
しかしその一方で、食を「命をつなぐための糧」として、産地から離れた場所にも安全に、経済的に、安定して届けるという、現代社会の営みを軽く見すぎていたのではないか、と今では感じる。
工業化や加工技術は、単なる堕落ではなく、多くの人に食を行き渡らせるための知恵でもあるからだ。

そして、この作品がじわじわと輝きを失っていった理由は、そこだけではない。
東西新聞の「究極のメニュー」と、帝都新聞の「至高のメニュー」との対決。
その「至高のメニュー」を主導するのが、山岡の父・海原雄山である。
ここで本来、山岡の反発は「食の権威」への批判として機能するはずだった。
だが、物語が進むにつれて、その反権威の姿勢そのものが、別の権威になってしまった。

つまり、雄山の権威に抗う山岡の側もまた、「こちらこそが真の食を知っている」という権威をまとってしまったのである。
権威へのアンチテーゼだったはずのものが、いつのまにかもう一つの権威へ変質してしまう。
私は、この構造の破綻がじわじわ効いてきて、『美味しんぼ』から、かつてあった自由さや輝きを奪っていったのだと思っている。

権威を疑うところから始まった漫画が、最後には自ら権威の衣をまとってしまった。
これは『美味しんぼ』だけの話ではないのだろう。どんな思想も、どんな運動も、権威を疑うところから始まっても、自らが支持を集めれば、いつしか新しい権威になってしまう。その難しさを、この長寿漫画は最後には自ら体現してしまったように思う。


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