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2026年05月24日06:44

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映画が心に残すもの

私はこのmixi日記に、これまで映画評を3本書いた(2026年5月時点)。
監督名と作品名を挙げると、キャロル・リード『フォロー・ミー』、ニコラス・ローグ『マリリンとアインシュタイン』、アイヴァン・ライトマン『デーヴ』の3作である。
さらにあと2本、書きたいと思っている作品がある。キューブリック『2001年宇宙の旅』と、タルコフスキー『惑星ソラリス』だ。
これらはすべて映画館で観ており、DVDで見返すこともできる(『マリリンとアインシュタイン』だけはVHSビデオだが)。

この5作については、DVDを見返さなくても、ストーリーをほぼ記憶している。
もちろん、作品内の時系列どおりに思い出しているわけではないが、それでも場面や流れが頭の中に残っている。
今日は映画評そのものではなく、映画がどれほど強く印象や記憶を残すか、その強さを私なりに分類してみたい。

学生時代には「名画座」というものがあった。今ではほとんど姿を消してしまったが、当時はロードショーで1本観るより安い料金で、しかも多くは2本立てで、すでに評価の定まった名画を観ることができた。
安いぶんシートは貧弱で、お尻が痛くなることもあったが、ラインナップにはほとんど外れがなかった。
私は大阪にかつてあった大毎地下劇場や、その系列の名画鑑賞会(ビルの最上階で土日のみ開かれていた)によく通っていた。2本立てなので1回で2作観られることもあり、新作ロードショーも含めれば、ある年には年間100本以上の映画を観ていたことになる。
だが、それだけ観ていても、強力に記憶に残っている作品は意外に少ない。

そこで、映画を見終わった後の印象や記銘力によって、映画を4つに分類してみる。
以下に挙げる作品は、あくまで私個人の基準によるものであり、人によって異なるだろう。

A:見た記憶すら薄れていく作品。
安全にまとまりすぎた作品や、量産型の娯楽作に多い。
題名の記憶どころか、「観た」という事実さえ薄れていく作品である。いわゆるB級映画に多い。
ただし逆に、最低映画監督として名高いエド・ウッドの作品群も、私にとってはここに入る。

B:見終わったあと、苦い味を残す作品。
後味は悪い。しかし、そのぶん印象は深く、傑作であることも多い。
私見で3作挙げるなら、デヴィッド・フィンチャー『セブン』、ジョン・カーペンター『遊星からの物体X』、高畑勲『かぐや姫の物語』。
『マリリンとアインシュタイン』も、このカテゴリに入る。

C:ほとんど傑作なのに、最後のところで失敗した惜しい作品。
私見で挙げるなら、ジョン・バダム『ブルー・サンダー』。
最後にヘリを貨物列車へ衝突させて処分するが、これは罪のない列車の運転手を危険にさらし、鉄道輸送にも大混乱を招くはずだ。
しかも、それを悪事を告発する側である主人公の警官が行う。この一点のために、作品全体の着地が崩れてしまったように思える。

D:カタルシスの形はさまざまだが、苦難・不安・喪失を通過した末に、最後は「生きていてよかった」という側へ着地する作品。
私にとっては、ほぼ完璧な傑作である。
『フォロー・ミー』と『デーヴ』は、温かさによるカタルシスをもたらす作品だ。
また、ストーリー構成の上では一見B型かと思わせながら、最後に巨大なカタルシスを残す作品の代表としては、ウィリアム・ワイラー『ベン・ハー』、ピーター・ジャクソン『ロード・オブ・ザ・リング』三部作がまず思い浮かぶ。

傑作にも、苦さを残すものと、最後に救いへ着地するものがある。
良心的な映画制作者は、おそらく自作がBかDとして受け取られることを意図して制作しているのだろう。
それなのに、実際には多くの作品がAにとどまり、あるいは惜しくもCになってしまう。
それはなぜなのだろうか。

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