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2026年05月19日07:14

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空想科学的、究極の選択

多分、ET――地球外生命、つまり知的ではない微生物のようなものなら、百年以内には、いやもっと早く発見・確認されるだろう。
だが、ETI――地球外知性体の発見は、はるかに奇跡的だと思う。

私個人の予想では、この瞬間、天の川銀河に存在している「電波文明以上」の文明は、我々を含めてせいぜい三つくらいではないか。
これらが直径十万光年の銀河にランダムに散らばっているとしたら、電波メッセージの往復がなお意味を持つような、せいぜい数十光年以内に、しかも電磁波通信以上の技術を持つETIがいる可能性は、ほとんど奇跡に近い。
そんな相手がいたとして、我々はどうやって電波のやりとりだけで「意味」の交換にまで到達できるのだろうか。

それを考える前に、まず、異星人がそう遠くない場所に存在すると分かったとき、人類が取るべき振る舞いについては、大きく二つの考え方がある。

一つは、希望の側の考えだ。
たとえば50光年先にETIが存在すると分かっただけで、返事が返ってくるのは最短でも100年後になる。
すると人類には、少なくともその100年は文明を維持しよう、さらにこちらから送る次の通信内容もまとめておこう、という強いインセンティヴが生まれる。
ETIとの意思疎通が成るまでは、絶対に文明を手放してなるものか、という希望である。
そしてそれは、相手のETI側にとっても同じだろう。
やがて二つの文明は中間地点、つまり25光年ずつ進んだどこかで、物理的に接触することになるかもしれない。これは究極の希望と信頼の選択である。

もう一つは、逆に、二つの文明が接触すれば、進んでいない文明は滅ぼされるか、少なくとも奴隷に近いような悲惨な目に遭う、という考え方だ。
使い古された例ではあるが、インカ帝国とスペインを見よ、というわけである。
そうならないためには、自分は発見されないよう宇宙で息を潜め、他の文明を発見したら、こちらが見つかる前に撃て、滅ぼしてしまえ、となる。
これが、宇宙は暗黒の森林であり、見つかったら破滅、見つけたらやられる前に撃て、というダークフォレスト仮説である。こちらは究極の不信の構図である。

前者は「我々は孤立していない」という希望の論理であり、後者は「見つかったら破滅する」という恐怖の論理である。
両者は、ほとんど正反対の倫理を導く。
さて、どちらが正解なのだろうか。

宇宙人はみな善人だ、という賭けはたしかに危険すぎる。
それでも私は、暗黒森林よりは希望の側を好む。
少なくとも、相手を見つけた瞬間に恒星間弾道弾をぶっ放すような文明に、人類文明にはなってほしくない。


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