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2026年04月13日06:51

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時間とタイムトラベルに関するとりとめない連想

昔読んだSFアンソロジーの中に、「世界の果ての旅籠屋」という作品があった。編者は誰だったか忘れたが、ジュディス・メリルだったかもしれない。
そこでは、アリストテレス、イクナートン(アメンホテップ四世)、シャカ、孔子……といった歴史上の偉人たちが一堂に会して、何やら深遠な議論を交わしていたように記憶している。舞台は、時空連続体から切り離された空間にあるホテル、あるいは旅籠のような場所だった。

昔から疑問だったのは、タイムパトロールの本部である。
あれは全ての歴史から、タイムトラベラーの犯罪報告や指示要請が一斉に来るはずで、本部の要員がいくら優秀でも、過労死を免れるのは怪しい。もちろん本部そのものも時空連続体の外にあるのだろうが、考えてみると、あれは結局「自分たちに都合のよい時間線」を保守しようとする組織にも見える。だとすると、他の時間線のタイムパトロールと深刻な戦争をしていてもおかしくない。もっとも、そのあたりは時間線の絡まり方次第なのだろうけれど。

さらに空想が広がる。
さまざまな時間線から来たトラベラーたちが、消失前のアレキサンドリア大図書館や、バグダードの知恵の館(バイト・アルヒクマ)、あるいは焚書される前の中国の蔵書群に入り込み、現地人を装ってデジタル保存用のデバイスで資料を写し取ろうとする。そこで異なる時代・異なる時間線の人々が、ふと声を交わす。そんな場面を想像すると、少し「世界の果ての旅籠屋」に似ている気もする。

タイムトラベルは夢のまた夢で、実現しそうにもない。だが、失われたもの――人でも物でも知でも――には、そういう空想を誘うロマンがある。
私なら、そんな遺物の中に、出自のわからないループした品物、いわゆる「存在の環」をひとつ紛れ込ませてみたい。


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