ネリー・カプランの「海賊のフィアンセ」は、映画評論家の秦早穂子さんが、2025年の3本として上げていた映画。他の2本は、「教皇選挙」と、「アイム・スティル・ヒア」で、この映画は聞いたこともなかった。
京都シネマで昨日からネリー・カプラン特集が始まり、この「海賊のフィアンセ」(1969)も上映されることが分かったので、見に行きました。
内容に触れています。
フランスの一農村ティリエ、農家の下働きとして働くマリーを村人たちは蔑視し、性的な視線を送っていた。彼女は村はずれの森の中のあばら屋に母と山羊とともに暮らしていたが、その母が交通事故で急死する。轢き逃げらしいが、犯人はわからない。
やがて、村の顔役の男たちや教会の司祭らがマリーの家に集まり、正式に死亡届を出すべきか、死因を轢き逃げとしたら警察沙汰になってしまうから自然死として届けよう、出生証明書は教会にない、流れ者のジプシーなんか教会の墓地には埋葬できない、埋葬する費用はあるのか・・・などと勝手に話し始め、マリーは怒って彼らを追い出す。
ここからマリーの村社会への反撃が始まる。
マリーは、町の食品雑貨店に出かけ、有り金のありったけを使って酒と食物とロウソク、そしてなぜかウェストミンスターの鐘の音のなる置き時計を買い、家をかざりつける。マッチの燃えかすの煤で眉とアイラインを引き、キイチゴの汁で頬紅と口紅にして怪しげなメイクを完成させると、男たちを呼ぶ。食べものと酒とで酔っ払った男たちを使い、家の近くに墓穴を掘らせ、母の埋葬を済ませた。
よそ者の異教徒であること、若く何も持たない女性であることから彼女は言われない差別を受けている。しかし、それを逆手にとって、彼女は男たちを翻弄する。かれらは、こんな若い女はチョロいと思って近づくのだが、彼女はそう簡単に受け入れてはくれない。金を払ってからよ、ということで、金のある者は金をむしり取られ、持たざる者は門前払いを食わされる。男たちは妻の目を気にしながらも、マリーの肉体に吸い寄せられてしまう。その彼らがこうして男たちから巻き上げた金で、彼女はますます美しくなり、通販で買い込んだ衣装や家具調度であばら屋が生まれ変わっていく。巡回映画師として村を訪れたアンドレは、こんな村を出て一緒に暮らそうと言うが、彼女はここが自分の家だといい、おいそれと靡かない。アンドレにはポータブルプレイヤーとレコードを買ってもらい、その後はまだ出たばかりのオープンリールのテープレコーダーも買ってもらう。アンドレは二度目に訪れた時は、今度作っている映画は「海賊のフィアンセ」という題で、またいろいろなところで上映するからと巡回予定の地名を書いた紙を渡す。
マリーはアンドレにもらったテープレコーダーを使い、彼女の部屋を訪れた男たちの会話をこっそり録音、それを教会のミサの最中にスピーカーから流して大混乱に陥れる。森の中の自宅には火を放ち、ガラクタを残して消失。そして、一人で村を出ていく。「ティリエにて映画上映、海賊のフィアンセ」というポスター、そして「nomade(字幕ではジプシー)の入植禁止」といった張り紙を尻目に、並木道を歩きながら、ハイヒールを投げ捨てる。
保守的な村のバカさ加減をユーモラスに批判する。女性への蔑視、ジプシーや移民への蔑視など、今に通じるところがあり、その風物は古くさいながらも、映画としてはちっとも古びていない。オープンリールのテープレコーダーの登場は小学校の高学年の時だったなあなんてことを思い出す。ずっと後にカセットテープが発売されるまで、我が家にはテープレコーダーはなかったな。「海賊のフィアンセ」は現代の直訳だが、劇中に出てくる架空の映画の題名なので、わかりづらい。英語のタイトルは「A curious girl」となっているが、これも変だな。かつてフランス映画「勝手にしやがれ」など独得の意訳で邦題をつけてきた秦早穂子さんなら、どんな邦題をつけていただろうと考えてしまった。
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