図書館で借りている今読書している
仏教の解説本によると、
(仏滅後に弟子にまとめられた阿含経典から
さらに体系化されたアビダルマの本である。
ちなみに、
今よんでいる本は
南伝仏教のアビダンマではなく
北伝仏教のガンダーラ(カシミール)で発展したアビダルマで、シルクロードにより日本に伝わり倶舎宗となるアビダルマについての本である
つまりガンダーラで勢力があったという仏教宗派の
説一切有部のアビダルマコーシャについての本である
(ちなみに、龍樹は説一切有部にたいする反駁を中論においてなしていり。中論は大乗仏教の理論的に基礎づけたとされている。大乗仏教は、新しい新興思想である)
南伝仏教のアビダンマと北伝仏教のアビダルマは
世界観においてことなっているらしいが
わたくしは素人なのでよくしりません
(以前、南伝仏教のテーラーワーダのスマナサーラさんの実践心理学シリーズにおいて基本を読んだことがあるだけですので、よくわかりません)
今よんでいる途中の
説一切有部のアビダンマコーシャについての本(日本の倶舎宗の、くしゃ、は、コーシャ、の音写としてそう呼ばれれています)
によると、
善業と悪業はともに、苦しみであるらしいので
大乗仏教以前の
古い仏教ではそう考えていたらしいです
のちの大乗仏教では
善業を積む菩薩というイメージが鮮明にうちだされていますが
アビダルマの古い仏教では
善行為はかまわないが
善業(カルマ)とはならないような弱い意思作用
(アビダルマの心所の説明での、大地法の思という心所についての話です、思は、業をつくり、輪廻となる原因とかかれています)
で行うとよい、ということになります
つまり善行為を否定しているのではなく
善行為の自覚なしに、見返りも期待せず
行うならよい
とされているのです
古い仏教では
涅槃(静寂)のためにならないような
善業(結果は天界とそこでの死の苦しみ)や悪業はともにしてはならないとされていたのでした。
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