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2024年03月14日13:47

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混同

「つづける」の対義語は「やめる」であろう。



ただ、「やめる」ってのは、この場合、「辞める」と「止める」の二つがあった。


俺は本当に長い間、この二つの「やめる」を混同していた。



その結果、「続ける」という行為が、「間違った方向」として、修正されずにきた。要するに「空回り」である。

「ストップ」→「進む」→「ストップ」→「進む」…という風に、一旦立ち止まって、歩きだすのがセオリーである。



思い返せば、「止める」ってのは、俺にとっては、まさに不必要どころか、害になる「人間関係」を指している。




「関わらない方がいい」というのさ、「関わるがどうかを選択できる」場合にのみ、有効であった。「関わらざるを得ない」時、関わる人間を選ぶ余地が、俺には無かった。




「ズルい」も「卑劣」も、当人が責任を取るなら、俺は一向に構わない。何故なら、自己責任は、そいつにあるからだ。




だが、「卑怯」はどうしでも、俺には許せない。要するに、責任から逃げるってことだ。恨み買ったその「ケジメ」から、逃げつづけている




そして「当然の報い」を実行しようとする時、そのボケは、存在を抹消する。「怒る」時、「怒って仕返しされる」のは、覚悟してたんだろう?なんてもの、端から持ち合わせていないから「ビビって逃げる」のである。


「差別は癒し」ともあるが、結局死ぬまで、俺の中で「ゴミ」として、ある意味、癒されるのか…
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