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2024年03月05日19:46

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大山

 今、鳥取県の大山では雪崩に遭って行方不明になっている2人の捜査が続いているようです→https://times.abema.tv/articles/-/10116734?page=1
 山での遭難は時々ニュースになって報じられますが、私がとくに大山の場合にこだわるのは、この山が母方の祖父が遭難死した山でもあるからです。
 まだ母が小学校に上がるか上がらないかの頃だったといいますから、母自身にもあまり記憶がなく、遭難が雪崩によるものだったのかどうかもはっきりしませんが、そういうわけで私が生まれた時にはすでに祖父が旅立ってから何年も経っていたということになります。
 でも、その数年間は、母方の祖母にとっては苦しいものであっただろうと思われます。突然、3人の子ども(母には妹が二人いた)を突然ひとりで育てあげなければならなくなったわけですから。
 ただ、現実には、幸か不幸か当時は戦時中で、国民皆協力し合うことが当たり前という認識が、とくに祖母の家系には浸透していたようで、岡山県南西部にある祖母の実家に疎開した時には温かく迎えられたようです。他にもそこに疎開してきた家族(親族)は幾つかあり、近い年頃の子どもたちと友達になれた母にとっては案外楽しい日々であったようです。
 それでも、私が大学に入った時には、登山部あるいは登山に関するサークルにだけは入らないでくれと祖母からクギを刺されました。あまり子育ての苦労とか戦争の悲惨さとかの話はしなかった祖母でしたが、子育てをひとりで担うことには、やっぱりそれなりの苦労があったものと推測されます。
 ともあれ、そういうわけで、私は登山部あるいは登山に関するサークルには入らなかったのですが、学生時代に四国に行った時には西日本一の高峰、石鎚山に登り、登頂を果たしたことがありました。
 でも、これは今考えると危険な登山でした。Tシャツにジーパン、スニーカーというこれ以上はないほどの軽装で、しかも午後から登山を開始しましたから。登山部あるいは登山に関するサークルに入っていたら、もう少し登山に関する知識も豊かなものになっていて注意深くなっていたのでしょうが、当時はこれで大丈夫と完全に自然を舐めてかかってましたね。無事、登頂、下山が果たせたのはラッキーという他ありません。
 なお、大山には、2回行ったことがあります。
 1回目は小学生の時で、この時はガス(霧)が発生したので、同行した大人の判断で登頂は断念し、途中で下山しました。
 2回目は中学生の時でした。通っていた中学校の課外授業のひとつに大山登山があったのです。この時には登頂でき、頂上からの絶景を楽しみながら弁当を食べたのを覚えています。
 多分、最も簡単なコースを使ったのでしょうが、とくに難所らしい難所と感じられた所もなかったので、どうしてこの山で祖父は遭難死したのだろうなどと当時は思ったものです。でも、そんな侮りや過信、盲信といった類のことが、実は大事故に繋がってしまう伏線なのかもしれません。
 今回の雪崩に遭った人々にはそんな侮りや過信はなかったものと信じたいですが、雪崩が起こったのが2日であることを考えると、時間的には厳しいものがありますね。何とか無事に生還されることを祈ります。
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