mixiユーザー(id:1795980)

2024年01月07日07:38

26 view

新幹線全史[読書日記968]

題名:新幹線全史 「政治」と「地形」で解き明かす
著者:竹内 正浩(たけうち・まさひろ)
出版:NHK出版新書
価格:1,100円+税(2023年9月 第1刷)
----------
新年最初の読書は、マイミクさんが紹介されていた本を読みました。

表紙裏の惹句を引用します。
“なぜ新駅や路線はその場所につくられたのか。その疑問から
 日本近現代史の核心が見えてくる。
 幻と消えた明治期の民間高速鉄道、戦前の「弾丸列車」構想、
 戦後生まれた「政治駅」「不可解な路線」の謎……。
 誕生から拡大期を経て、リニア中央新幹線まで、「政治」と
 「地形」に着目しながら現代もつづく新幹線の歴史を路線ご
 とに書き尽くした決定版。”

目次は次の通りです。
----------
 はじめに
 第一部 新幹線の誕生
  第一章 新幹線計画の原点
  第二章 東海道新幹線
  第三章 山陽新幹線
 第二部 拡大する新幹線路線
  第四章 新幹線と列島改造
  第五章 東北新幹線
  第六章 上越新幹線
 第三部 凍結された計画の復活
  第七章 国鉄民営化と新幹線
  第八章 北陸新幹線 
  第九章 九州新幹線・西九州新幹線
  第十章 北海道新幹線
  第十一章 ミニ新幹線とリニア新幹線
 おわりに

----------
印象に残った文章を引用します。

【第二章 東海道新幹線】《愛知県における戦前の用地買収の実態》から。
“戦前の路線が実現しなかった大きな理由は三つあった。(略)
 三つめはアメリカ海軍が接収した依佐美送信所の無線塔支持線が経路上にあったことである。東西冷戦期のアメリカ海軍は、この送信所から全世界に展開する潜水艦に向けて超長波の無線を発信していたのだ。”(58p)
 ⇒ちなみに戦前の新幹線は中国大陸への軍事物資の輸送を目的して建設準備が進められていたそうです。

【第三章 山陽新幹線】《広島東方の急勾配区間をどう通過したか》から。
“鉄道好きにはおなじみだが、セノハチこと瀬野〜八本松(東京方面から順に記述すると、八本松〜瀬野となる)といえば全国的に有名な急勾配区間である。国鉄最急勾配の66.7パーミルの勾配区間だった信越本線横川〜軽井沢間が廃止されて以降、補機(補助機関車)をつけて貨物列車が走行する区間は、セノハチの上り区間(瀬野→八本松)のみとなった。最大勾配は22.6パーミルである。”(101p)
 ⇒私の友人が八本松在住なので、この部分を特に熱心に読みました(笑)
 ⇒ちなみに「パーミル」を検索すると、次のようにあります。
“勾配(=傾斜)を示す単位。 1000分率のことで、鉄道では勾配が変化する箇所に勾配標を用い、1000m進むと何m昇降するかを表しています”

【第四章 新幹線と列島改造】《田中角栄の登場と全国新幹線網》から。
“戦前の新幹線計画に端を発した東海道新幹線は予想をはるかに超える成功を収め、山陽新幹線の建設も進んでいた。もともと新幹線計画が始まったのは、東海道本線の列車本数が近い将来限界に達するという危機感が根底にあったからである。ところが、いざ新幹線という超高速鉄道が開業すると、人々の遠距離移動が容易になったことで新たな旅客需要が堀り起こされ、沿線は大きく発展した。新幹線が工場移転や人口増加の呼び水となり、商業が活性化し、地価が上昇するなど、波及効果は計り知れなかった。
 地方から熱いまなざしが新幹線に注がれるようになるのも当然である。”(122p)
 ⇒続けて著者は“新幹線を誘致すれば地方が発展すると考えても不思議ではない”(172p)と書いています。

【第五章 東北新幹線】《大宮以南の経路変更と反対運動》から。
“この時代(昭和49年[1974]頃)は、夢の超特急ともてはやされた新幹線が、世間から最も忌み嫌われた時期といえるだろう。当時の鉄道愛好家の関心の中心は消えゆく蒸気機関車か在来線で、0系車両のみが往来する新幹線への関心は低かった。むしろ新幹線は、在来線の優等列車を駆逐した元凶として、憎悪の対象といってもいい存在だった。”(181p)
 ⇒著者が、昔からの鉄道愛好家だったことが読み取れますね。

【第八章 北陸新幹線】《国鉄最急勾配だった碓氷峠をどう越えたか》から。
“(当時の鉄建公団総裁の仁杉巌は)新幹線の規格限界と軽井沢経由の両立というむつかしい課題解決に苦しみ、国鉄工作局長だった石井幸孝に碓氷峠越えの新幹線車両開発について相談している。その後、30パーミルの連続勾配に対応する車両開発の目処がついたことから、勾配が当初の15パーミル以内から30パーミル以内という条件に緩和された。”(279p)
 ⇒計画当初は急勾配を避け、軽井沢を経由しない計画だったところ、多くの人が乗降する軽井沢を通るルートにするよう政治的圧力があったそうです。

【第十章 北海道新幹線】《よみがえった半世紀前の計画》から。
“(北海道新幹線が完成したとして)多少なりとも車窓風景が見られるのは、新八雲(仮称)、長万部・俱知安各駅とその前後の区間に限られそうだ(新小樽[仮称]駅は両側をトンネルに挟まれた構造のため、車窓は望めそうにない)。函館本線の雄大な車窓を堪能してきた者にとっては残念というほかない。”(312p)
 ⇒たしかに、車窓からの眺めは旅の愉しみの一つですね。

【第十一章 ミニ新幹線とリニア新幹線】《リニア中央新幹線の行方》から。
“いちばんの難関は、赤石山脈を貫く南アルプストンネル(仮称、約25キロ)であろう。「陸の青函トンネル」とも称せられるのは、単にその長さや土被りの厚さだけではない。大断層線である糸魚川静岡構造線の真ん中を突っ切るその経路にある。急峻な山の深部の性状を直接確認できないことから、本坑に先進坑を掘削するとともに、最先端の探査技術を用いて地質の状況を確認しながら進めていく計画だという。工事の無事を祈らずにはいられない。”(341p)
 ⇒私も糸魚川静岡構造線を横断する工事が最大の難関だと、素人ながら考えています。

締めくくりに【おわりに】から、筆者の感想を引用します。
“調べれば調べるほど、新幹線の成り立ちは面白い。あたかも最初から成功が約束されたプロジェクトのように語られがちだが、実際はそんな生易しいものではなかった。国鉄幹部すらその多数が消極的で、東海道本線の複々線化で充分だという認識が支配的だった。ところが、ひとたび東海道新幹線が予想以上の成功を収めると、政治家が群がり、有象無象の人間が首を突っ込みたがった。”(349p)
私は社用で東京〜新大阪間の新幹線を週2回ペースで利用していた時期がありました。
仕事の行き来で使っていた新幹線が、さまざまな出来事や思惑から成り立っていたことが分かり、感慨深いものがあります。

追記:
男性の著者で生まれた年を書いていない著者紹介は珍しいですね。

---------- ----------
竹内 正浩(たけうち・まさひろ)
地図や鉄道、近現代史をライフワークに取材・執筆を行う。著書に『ふしぎな鉄道路線――「戦争」と「地形」で解きほぐす』『写真と地図でめぐる軍都・東京』(NHK出版新書)、『地図と愉しむ東京歴史散歩』シリーズ(中公新書)、『妙な線路大研究』シリーズ(実業之日本社)ほか多数。
3 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年01月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031