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2023年12月06日23:01

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ZARDの坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心に旅する 2023年第16回目 12月2日(土)〜息もできない〜 座間市、海老名市、厚木市、秦野市 海老名市の鐘について 秦野市古民家ライトアップ 

   <ZARDの坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心に旅する 2023年第16回目 12月2日(土)〜息もできない〜 座間市、海老名市、厚木市、秦野市 海老名市の鐘について 秦野市古民家ライトアップ >

 ZARDの坂井泉水の軌跡を辿る旅、2023年16回目、紅葉シーズンのピークを迎えた小田急沿線の座間市、海老名市、厚木市、秦野市が舞台である。11月3日に季節はずれの夏日を記録した首都圏は、11月中旬以降一気に冷え込み、木々の葉っぱの色づきが進んだ。今年を振り返ると、例年になく、雨が少なく、夏は猛暑に見舞われた。幸い台風の被害は最小限にとどまった。気象庁によると、今年は暖冬傾向だという。
 今回、モチーフとなる曲は、1998年3月4日にリリースされた24thシングル「息も出来ない」である。同曲は、6thシングル「負けないで」と並び、若者を元気付けるような内容の歌詞に仕上がっていた。

 写真=息もできない ジャケット 掲載元 TOWER RECOAD
フォト

リリース時の25年前は、バブル崩壊の後遺症が続き、就職氷河期の真っ只中だった。学生たちは、数少ない企業からの採用枠を巡って、激しい競争にさらされた。旅の主人公は、失恋から立ち直った青年である。前回11月23日(金・祝)の秦野市内の旅では、実朝祭に参加し、命がけで戦う武士たちの世界を学んだ。謎だった波多野氏のルーツを説き、達成感を味わうことができた。12月になり、すっかり秋色に染まった市内を散策し、四季の豊かさを実感する。「息もできない」の歌詞と共に、各スポットを辿っていく。

 前回の旅 2023年11月23日(木・祝)テーマとなった歌「GOOD DAY」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986442454&owner_id=32437106

 目次
・第1章 座間市(かにが沢公園、谷戸山公園) https://www.city.zama.kanagawa.jp/bunkasports/kouen/kouen/1003351.html
・第2章 海老名市(温故館 龍安寺)詳細 温故館ページ https://www.city.ebina.kanagawa.jp/shisei/profile/tankyusha/onko/1016055.html
・第3章 厚木市飯山観音へ https://www.iiyamakannon.com/
・第4章 秦野市へ カルチャーパーク サイト名 コドモト https://www.kodomoto.info/spots/142115Y76B
・第5章 古民家ライトアップ 緑水庵 
カナコロ https://www.kanaloco.jp/news/life/article-1038485.html

 昨年同期 
11月27日(日)テーマとなった歌「新しいドア 冬のひまわり」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983837738&owner_id=32437106

12月4日(日)テーマとなった歌「負けないで」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983912359&owner_id=32437106

第1章 座間市 かにが沢公園、谷戸山公園 

午前8時、一人の青年が、小田急線の普通列車のみ止まる座間市相武台前駅で降りて、散策に出かける。駅から程近い、西側の住宅地の中に位置する「かにが沢公園」が最初の舞台である。東の空から昇り始めた太陽の淡い光が、園内を照らした。名前の由来となったかつての谷間を流れる沢の面影を残す細長い溝状の地形に作られた公園は、四季を通して花々が咲く。

 子供広場前には、冬のひまわりが花を咲かせていた。今期は気温が高い日が続いたことにより、例年より早く見頃を迎えたという。既にお辞儀している株もあった。園内の所々に聳えるモミジの葉は、赤と緑のコントラストを成していた。

フォトフォト

公園は、散歩中あっという間に通り抜けるほど小さい。地元では、植栽に力を入れ、花を育てているという。冬に咲くひまわりの花言葉は「貴方を幸福にする」「貴方だけを見つめている」など恋を連想させる。

 失恋中の青年は、旅を通して、出会いがあり、フレッシュな気持ちだった。ZARDの24thシングル「息もできない」の歌詞に描かれた主人公も同様である。

 冒頭の歌詞:「息もできないくらい ねぇ君に夢中だよ。離れてても腕のなかにいる気がするのは何故」

 恋人と離れていても、なぜか寂しさはなく、常にそばにいてくれているように感じていた。

 かにが沢公園で、寒空に咲くひまわりに勇気付けられ、およそ1km西の谷戸山公園に向った。名前の通り、丘陵地が雨水や湧き水によって浸食された谷戸状の地形に作られた公園である。園内南部の傾斜地に位置する標高80mの伝説の丘は、モミジの木が育つ。日にあたらない影響からか、葉っぱは、緑の状態を保っていた。朝方園内は、地元民がウォーキングに励んでいた。園内の最西端の里山体験館の古民家は、係員によって、扉が開けられ、掃き掃除も始まった。午前9時を回り、ようやく本格的に動き出した。

写真=伝説の丘から1枚      写真=古民家前の湿生園
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 古民家前の湿性生態園は、日の光を浴びると、畑地が黄色く染まった。青年は、黒い影から、光が差し込む様子を見つめていた。その心境は、Aメロの歌詞に表れている。


 Aメロ:「耳をすませば聞こえる君の鼓動 世界中で私だけが聞いている音」

 里山に吹き付ける風のざわめき、箒で落ち葉が履かれる際の乾いた音を打ち破るかのように時折モズの高鳴きが響く。開発によりすっかり姿を消した人と動物が共存する環境がそこにあった。

 続く歌詞:「一人でいる時間も 友達や家族と たわいなく話す話題も大切な時間だけれど」

 家でまったり読書して体を休めることはもちろん、時には外に出て、散策も必要である。そよ風に揺らめく植物や葉っぱを鑑賞し、野鳥の声に耳を澄ますことにより、自然との一体感が生まれる。

里山の空間に身を置いた青年は、公園から徒歩10分以内の座間駅へ足を運び、小田急線に乗り、隣の海老名駅まで移動した。

第2章 海老名市 温故館 龍安寺の紅葉


 関連日記 8月20日(日)「関東大震災100年」と9thシングル「もう少しあと少し・・・リリース30年」を組み合わせた物語 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985829702&owner_id=32437106

 一人の青年に置き換えた私の旅、海老名駅から徒歩10分、駅東側の住宅街の中にある温故館を訪れた。8月20(日)には、関東大震災100年を前に、企画展が開催されていた。今回、11月25日(土)から2024年2月25日(日)まで行われる企画展は「海老名に伝わる銅鐘〜国分寺銅鐘重要文化財指定100周年記念」だった。

 市内の明治・大正時代に使用された鐘楼写真のパネルと共に、実物も展示した。江戸時際に遡ると、海老名市内において、同じ信仰を持った人々による「講集団」が組織化され、活動を行ってきた。その一つ浄土系寺院で行う念仏講は、信者同士円形にすわり、数珠を回した。念仏を唱える際、拍子をとるべく、鐘を使った。今では、都市化により、信仰が薄れ、講自体もほぼ無くなっている。  

 時は昭和、太平洋戦争の真っ只中、昭和16年(1941年)、政府は、軍需産業を活性化させるべく、「金属回収令」を発布した。門扉・台所用品と共に、お寺の鐘も、対象になった。全国9割の鐘が、無くなったという。太平洋戦争の敗戦を機に、日本は 天皇主権から国民主権へ、君主制から民主主義へ移行した。

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館内において、年配の方が懐かしがる「釣り鐘」や「振鈴」は、実物が展示されていた。かつて学校では、授業の開始や休み時間を知らせる合図として使用されていた。勉強に打ち込んでいると、鐘の音を聞くと、緊張から解き放たれたかのようにほっと一息つくことができる。昭和の終わりには、より効率よく、校舎全域に響くように、電子チャイムに変わった。歴史の移り変わりを今に伝えていた。

 引き続き私の旅を一人の青年に置き換えて進めていく。温故館から、徒歩10分以内の距離にある龍峰寺へと向った。スマホのナビ機能を使いながら、辿っていくと、相鉄線の踏切を越えていく。丁度線路を見下ろす崖の中腹に位置するふたば愛子園に通う幼児の列ともすれ違った。この日は土曜、本来休園日であるものの、行事の開催により、校門前には保護者の姿があった。少子高齢化により、日本全国において、園児の数は少なくなる傾向にある。岸田内閣が、国を挙げて、対策を打つことにより、歯止めがかかるのか、期待されている。

 目的地の龍峰寺は、清水寺公園と併設しているかのように、敷地の区別がつかないほど、一体化していた。見晴らしのよい崖の上に位置しているとはいえ、樹木によって視界が遮られていた。清水寺公園のイチョウの木のそばで、一組の親子の姿があった。一台のローラー滑り台が、銀杏の木の下を潜り抜けるように設置されていた。

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 青年は、龍峰寺に参拝した後、清水寺公園の銀杏並木を撮影した。イチョウの木は落葉が始まり、斜面を黄色の絨毯と化す。一人の子供は、滑り台から降りて、イチョウの葉っぱを掴んでいた。母親は、わが子に近づき、しゃがみながら、同じ目線で扇形の黄色い葉に視線を注いだ。

 一組の親子のほほえましい姿を見て、童心に返った。自分も小さい頃は、父親や母親に連れられ、滑り台のある公園でよく遊んだ。成長すると、友達や恋人と公園のベンチに腰掛けた。友達とは四方山話を、恋人とは将来について語った。そのときの心境は、Aメロの歌詞の通りだった。

 Aメロの歌詞:「息もできないくらい、ねぇ君が好きだよ。時々過去の失恋に臆病になるけれど」

 離れてしまった恋人へ、素直に気持ちを表した。確かに一度失恋すると、消極的になってしまう。守りに入っていれば、新しいことに挑戦できない。日差しを浴びたイチョウの葉っぱを見て、青年は希望を見出していた。

 続く歌詞:「夕陽に横顔のシルエット、ずっとそばにいたい。限界なんてまだ遠い この恋を叶えてください」

 恋人への思いは変わらない。清水寺公園のそばの龍峰寺の敷地内で、お祈りをして、その場を後にした。

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 第3章 厚木市飯山観音へ
 
 午前11時代、訪れたのは厚木市の飯山である。本厚木北口のバス停から北へおよそ7,8km、飯山観音バス停で降りた。小鮎川を挟み、向側の飯山花の里を訪れた。11月上旬から中旬にかけて、菊の花が一面咲きそろっていた。気温が高かった影響により、例年になく、花持ちは良かったという。振り返ると、ゴールデンウィークの頃は、一面ポピー畑と化していた。敷地内のお寺「金剛寺・大師堂」では、イチョウの木が聳え立つ。

 イチョウの花言葉は「荘厳」や「長寿」と共に、「鎮魂」ともいう。その名の通り2億年前に地球上に誕生し、気候の変化に耐え抜いたのである。古くから人々は、長寿のイチョウの葉が、緑から黄色へ変わる「荘厳」な輝きに魅せられてきた。

 青年も、お昼時に太陽の光を受けて、より照り映えた葉っぱに、神秘性を感じた。自分は、神様が見守ってくれる、そう信じるようになった。飯山花の里から、急階段を登り、長谷寺の境内に入り、一礼した。

     写真=長谷寺      写真=金剛寺・大師堂      
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 すぐ裏手は、白山森林公園である。散策路は、未舗装で迷路のように入り組む。昼でもなお薄暗く、見通しは悪い。不安になり、境内にいた一人の女性スタッフに、「モミジスポット」について聞いた。案内板に従えば、必ずたどり着けるとの言葉を頂、出発した。

 森林公園内は、冬場の乾燥機にも、湿り気を帯びていた。スギの木を中心に人工林によって、日差しが遮られ、一度雨が降ると、水分が抜けにくい。周囲に街灯はなく、足元に気をつけながら、歩みを進めた。モミジスポットへくると、幾分視界が開け、日差しも届くようになった。年配のハイキング客を中心に、傾斜地に設けられたベンチで一休みしていた。

 モミジの葉っぱは、真っ赤に色づいていた。標高が高い分、平地よりも確実に色づき具合が進んでいる。昼でも薄暗い散策路に不安を感じ、一度は引き返そうとおもった。太陽光に照り映え、鮮やかな赤色に染まったモミジに出会い、ほっと落ち着くことができた。静かな空間に身を置くと、自分のことを冷静に振り返ることができる。

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 Bメロの歌詞へ

 冒頭:「恋の相談をしているうちに あの時笑顔が全てを受け入れてくれた」

友人と恋愛について語り出すと、心が和み、表情も穏やかになる。

 続く歌詞:「疑う心 迷う気持ち 口に出せない。君から見た私はどんな風に見えるの」

いざ恋が始まると、時に相手の言動が本心なのか、疑念を感じることもある。自分自身も、将来不安から、本音を吐けず、内心忸怩たる思いがあった。色鮮やかなモミジ、所々に聳える真黄色のイチョウの木は、全て自然の産物である。春先に芽吹き、次第に緑が濃くなる。暑い夏を過ぎ、秋に徐々に変化していく。モミジは赤色に、イチョウは黄色に染まり、一陣の風によって、枝から離れ、舞い落ちていく。我々ヒトとは異なり、植物は季節ごとに決まった行動をする。白山森林公園は、失恋中の青年を受け止めてくれる程、雄大な自然に囲まれていた。

写真 掲載元 2019年11月23日 朝日新聞DEGITAL
https://www.asahi.com/articles/ASMCD3J6RMCDULBJ003.html
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最新の研究によると、木を眺めることにより、心理的負担を軽減する効果があるという。たった一本の木を見つめるよりも、複数以上の樹木の集合体、いわゆる森や林の中に身を預ける方が、高い効果を発揮する。森林のセラピー効果により、心身共リフレッシュできて、仕事や学業に打ち込める。青年もお弁当を食べる時間を惜しみ、木々の葉を観察するうちに、足取りが軽やかになった。最寄りの尼寺(にんじ)バス停を目指して、公園内を抜けていった。

第4章 秦野市へ カルチャーパーク

午後2時ごろ、座間市、海老名市、厚木市と梯子した青年は、伊勢原市を挟み、西側の秦野市へと向った。市の中心となる秦野駅の観光案内所に立ち寄り、二人の職員から、紅葉スポットについて聞いた。普段から市の観光情報サイトを見ている青年だが、過去に職員から貴重な情報をもらっている。水無川沿いの秦野運動公園(カルチャーパーク)のイチョウが、見頃を迎えてくると教えてくれた。早速現地に向った。

 秦野駅から距離にして西へ2,8km、小田急線と神奈川中央交通が発行した「丹沢・大山フリーパス」の範囲である秦野駅と渋沢駅を結ぶ菩提経由のバスに乗った。工場地帯の中の「田原入り口」バス停で降りて、南へおよそ800m、緩やかな下り坂であるがゆえ、走ればあっという間にたどり着ける。公園に隣接した水無川は、春先満開の桜の花が、日暮れ時にライトアップされる。堰堤に植えられたドウダンツツジの赤い葉は、既に見頃を過ぎていた。

 川沿いに隣接する園内のバラ園は、いくつかの株が残っていた。青年は、真っ白い花びらの品種「ヨハネ・パウロ2世」の香りをかいだ。在位期間が1978年から2005年まで28年に渡った第264代ローマ法王の名を冠したバラは、透明感が漂う純白に染まっていた。
春バラに比べ、秋バラは、開花期間が長く、「香り」が強くなる。白バラの花言葉の一つは「あなたは私にふさわしい」である。古くは聖母マリアに捧げられたとから純潔を象徴する株とのイメージが強い。花びら一枚一枚が、重ならずに一点から湧き出す様は、繊細でドレスのように見える。貴婦人を彷彿とさせせることからエレガントな雰囲気が漂う。

 もう一つピンクの花をつけた品種「リン」は、太陽光を受けて、淡い色に染まることから、妖精を連想させる。

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 バラの花は、色合いや光の当たり具合によって、それぞれ異なる表情を見せる。人々は、時にバラの花を、自身の境遇と重ね合わせて考えていた。

 バラ園から、水無し川の上流側へ進むこと、陸上競技場と図書館の間には、イチョウの木がまとまって聳え立つ。若いカップルや小さい子連れの親子が、枝についた葉っぱを見上げながら、散策していた。道中、レンガ色の外観を成したカルチャーホールに目を転じると、赤を中心に若干緑が混じったモミジの枝と重なりあった。レンガとモミジのコントラストは、異国情緒な雰囲気を感じることができる。

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 カルチャーパークの敷地内は、陸上競技場とテニスコートなど運動場と共に、図書館やホールを含め、文化施設を併設している。1999年から市が始めた「花いっぱい運動」の一環として、水無し川沿いを含め、植栽にも精を出し、木の剪定にも余念がない。野球の試合を終えて、自転車に乗る中学生を見かけた。

 学生時代の自分のことも思い出した。

 Bメロのサビの歌詞:「どうでもいいところ気にするところ 二人よく似ているね。理解されなくても絶対 妥協しないでね」

写真=MVの一場面
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 我々人は、個性がある。髪型のちょっとした癖を気にする人、また服の色やメーカーなにこだわる人まで、様々である。拘りすぎると、確かに制約がある。一方で気になった箇所や出来事を突き詰めることにより、新発見に導く。

 続く歌詞:「想像力の中で世界はぐんぐん膨らんでゆく。誰よりも今近くに君を感じているから」
              <曲の方は、ギター演奏をはさみ、最終Cメロサビへ>

 誰しも若い頃は希望があり、ヒーローになることを想像する。やがて勉強や仕事にしろ、現実を身にしみて感じ、与えられたことを前向きに取り組むようになる。

 秦野運動公園の陸上競技場は、入り口の門が開放され、自由に使えるようになった。市内の競技大会が開かれる施設、地元で育った坂井泉水も中学生の頃、選手として出場していた。中学2年生時に出場した秦野市民大会では、200m走において、学年別で優勝を果たすと共に、当時の県記録を樹立したのである。

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高校生の頃には、陸上からソフト・テニス部へと移り、軽音楽部と兼任していた。感性が豊かで、スポーツも出来て、クラスメートから、一目置かれる存在だったという。彼女の足跡は、しっかりと残っていた。

 青年は、水無し川沿いを下り、秦野駅へと戻った。運動公園と隣接するペコちゃん公園の前で足を止めた。遊具が設置された公園では、午後4時ごろ、日が傾きかけた中、大勢の子供が遊んでいた。母親、または父親が、遊具の前で、わが子の安全面に気を配り、しっかりと見張っている。園内では、イチョウとカツラの木が育っていた。カツラは、モミジやイチョウと比較して、落葉が早い。公園脇の川沿いに、わずかにカツラの葉が残っていた。なぜ、ペコちゃんと名づけられたのか、市内に不二家の工場があるからである。2018年に不二家が、同公園のネーミングライツを獲得した。管理事務所の天井に、ペコちゃんとボーイフレンドのぽこちゃんが仲良く寄り添いながら、子供達を見守ってきた。

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横浜市西区伊勢崎町で発祥したお菓子屋の不二家の看板娘として1950年に誕生して以降、永遠の6歳として、子供たちから親しまれてきた。誕生翌年となる1951年にミルキーCMでデビューすると、パッケージにも登場する。一般家庭にテレビが普及していなかった時代にも、お菓子のパッケージとして商品化されることにより、人々の目にとまった。それから70年が経過し、ネット社会に変わると、不二家のSNSで情報発信役を務めた。
秦野市内は、子育てにやさしい環境を作り、公園を整備し、植栽活動を通して市民の交流の場を設けていた。丹沢の山々に抱かれた同市で育った坂井泉水は、恵まれた自然の中で育ち、若者をテーマに作詞を続けた。今時を経て、事務所公認のバンド「SARD UNDER GROUND」を含め、後世のアーティストへと歌い継がれている。

 午後4時頃には、秦野駅へと戻り、二人の職員に、情報提供していただいたことに、直接感謝の意思を伝えた。挨拶をすることは、信頼関係を築くことに繋がる。青年は、旅を通して、人と出会うことにより、気付くことが多くあった。

  第5章 古民家ライトアップ 緑水庵 

 秦野駅北口から発着するバスに乗り、蓑毛町のライトアップされる緑水庵に向った。駅から6km離れ、過疎化が進む蓑毛町を活性化するべく、2010年から毎年紅葉の時期に2週間あまり開催する。既に古民家の中では、一つの横長のテーブルに向かい合うグループ客が占拠していた。係員に断ったうえで、食事中のグループ客に配慮しながら、窓際に傘を置かせてもらった。スタンバイを整えると、庭に出て、撮影準備を始める。夜景がきれいなトワイライトタイムは午後4時45分から10分余り、ライトアップ型の場合やや遅れる。空が青みを帯びる時間帯は、全体的に透明感が出やすい。午後4時50分頃からシャッターを切った。幸いにも、照明器具によって、明るくなることにより、低感度でもぶれずに撮影できた。

 写真=全体像 時刻16時52分      写真=室内から1枚 撮影時刻17時6分
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 陽がすっかり暮れると、中に移動する。他に一組の夫婦が、傘を退かして、机にスマホを置いて、シャッターを切っていた。目線を低くして、撮影することにより、机が鏡の役割を果たし、扉の外のモミジの葉が映り込む。青年も夫婦を真似して、いわゆる逆さモミジを狙った。一人の係員によると、毎年モミジの時期に訪れる一人の年配の方は、照明を自由にON、OFFを繰り返しながら、傘の位置を変えて、撮影しているという。ただシャッターを押すことは誰にでも出来る。いかに構図を決めるかが、作品の出来栄えを左右する。青年は新たな写真の世界を学び、達成感を得ると、セルフサービスとして無料にて提供されたコーヒーを一杯戴いた。

 古民家を訪れた際の心境は、Cメロのサビの歌詞に表現されている。

歌詞:「息もできないくらい ねぇ 君に夢中だよ。月の照らす ジェットコースターが、闇を突き抜けてゆく」

 真っ暗な世界を、夜空に浮かぶ月の光によって、救われた気持ちになる。ヤビツ峠の麓、蓑毛町は夜間真っ暗に包まれる中、スポットライトを浴びた緑水庵のモミジによって、一段と明るくなる。

 写真=池の辺から1枚 撮影時刻17時7分   写真=逆さモミジ 撮影時刻17時11分
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 続く歌詞:「明日の予定なんて 全部キャンセルしてもいい 今度こそは本物だって 神様 信じて いいですか」

 写真=MVの一場面
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 青年は、春先の別れの季節、新居の準備に追われて、デートを断ったことがあった。今は、どんなに忙しくても、あなただけを見つめていたい、と自分の全てをささげる覚悟を決めていた。

 コーヒーを飲み終えると、係員にお礼の言葉を述べて、午後6時5分に最寄りの青年橋バス停に停車予定の秦野行きの便に乗り込んだ。

 続く歌詞:「コートを脱ぐと新しい 季節が動きだす」
                               <終わり>

 撮影時刻 17時27分
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 色鮮やかなモミジが散ると、枝がむき出しになり、いよいよ冬の到来である。青年も気を引き締めて、寒い冬に望む覚悟を決めた。未来への希望を持って、前に進みだした。

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