なでしこ池田監督がウズベキスタン戦の“選択”に言及「捉え方は皆さんあると思いますし、私も心苦しいです」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=138&from=diary&id=7621744
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この手の話題が出ると私は幾度も書いてることだが。
「ルール不備の穴を責められるべきはルール設定者であってプレイヤーではない」
「プレイヤーはそのルールの中で『最善』(全力ではない)を目指して何の問題もない」
「プレイヤーの選択に対して『好き嫌い』はあてもよいが『非難』されるものではない」
ということだ。
まず、この本戦進出チームの決定方法について、ルール設定をしたのは日本の監督ではない。「スポーツマンシップにのっとってすべての試合を『全力』で正々堂々と戦うべき!」というならば、今のルールに不備があると考えるべきで。ルール設定をそのように変えればよいだけのことだ。相撲の立ち合いの変化も甲子園の敬遠策も「ルール上は認められている」のだから。
そして成績に人生や評価、生活が懸かっているプレイヤーはその中で『最善(カザフスタンの2位通過)』を求めるのはいわば当然のことだろう。何ら恥ずべきところはない。その上でなおも『全力』を尽くすというならば、それはマナーなどと同じ「自由意志による判断」として尊いし、一般的に「スポーツマンシップ」として好まれることだろう。あくまでも自由意志でそれをするのが尊いのであって、ルールで強要される時点でそれはマナーやスポーツマンシップではなくなって「単なる当たり前に行うべきルール順守」となりかわるわけだ。
日本の今回の判断は世間的に好まれにくいところはあるだろう。だが何ら問題はない。日本の監督の判断を責める方々は『ルール設定者のルールの不備』をこそ責めるべきだろう。ルール設定に権限のない日本人監督を責めても意味がないのだ。
「責任者に責任を問う」とても当たり前のことなんだが。。。
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