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2023年04月16日00:21

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追悼 坂本龍一 星と星をつなぐひと  

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

狂おしいまでに命咲き誇る春の日、ひとつの大きな命の花が散った。
私の心の師匠であり、音楽の師でもあり、そして人生の師でもある、10代の頃から憧れ、尊敬し続けた人は逝った。

息ができない、何も考えられない。
今生きている人の中で一番失いたくなかった人。
単に音楽に限らず芸術、哲学、人生という航海を巡る海図のような存在だった。
光を失った大海の中で、これから何を頼りに、どこを目指せばいいのか。

いや、いたずらに我が身のことだけを考えるのはやめよう。
命尽きるその時まで、ガンという病と闘いつつ、それに加え、まさに生きがいであった音楽に携わることもままならなかったその重苦、筆舌に尽くしがたいものがあったことだろう。その重苦から解放されることを切に願う。

失った存在の、あまりの大きさ、重さ。それはその人が作りしものの大きさ、重さと同じなのだろう。
作者は亡くなっても、なお存在感を持つ作品のずっしりとしたその重さを背中に受けながら、この追悼文を記す。

私が彼から、そして私同様に彼もまた敬愛する音楽家の武満徹から学んだこと。
「感性と論理性は対立するものではなく車輪の両軸、互いが互いを育むもの」
そして「単に音楽という観点から音楽を捉えたのでは、全容は見えてこない。絵画、文芸等の諸芸術、文化、哲学、更には歴史や宗教といった人文科学に加え、脳科学、心理学、人類学といった自然科学と、複眼的な見地から見ることが必要」ということ。

今の私を支える根底にあるこの考え方は、両師から学んだ、もっとも大事なことのように思える。
単に音楽だけではなく、多方面に広げられた知識と教養、そしてその知識と教養を、単に「知っている」だけではなく、自らの価値観の元自在に整理統合し、作品に昇華したその背景には、月並みで陳腐な、口にするのもはばかられるような言葉ではあるが、やはり「愛」があったからこそ、と思う。
でなければ、黒澤明、大島渚、ベルトリッチといった名だたる映画監督が、彼らを音楽監督に起用するはずがない。
だからこそ、両師とも単にアヴァンギャルドな前衛音楽家、あるいは単なる映画音楽の職業作曲家として終わらず、また、一世を風靡したバンドのロックスターでも終わらなかった。

「ぼくの音楽は不連続な情景の羅列のような印象を与えるかもしれませんが、そのひとつひとつは夢の破片のようなものだと思っています」
〜武満徹「夢と数」より。
映画も、夢も、暗闇の世界の中で見る幻想。
武満徹にも、そして坂本龍一にも共通して言えることだが、彼らの言わば「耳で聞く映像」のような強い映像喚起力を持つイマジナリー豊かな楽想が、多くの映画監督を惹きつけてやまない魅力なのだろうと思う。

武満も、坂本も、ニーノ・ロータやモリコーネも、その強い映像を喚起させるイマジネーション豊かな楽曲は、多くの映画監督からの信頼を集め、数多くの映画音楽、劇伴音楽を手がけている。

音の世界、音空間が刺激となって、生み出す映像のイメージ。
そのイメージを描き、頭の中で「可視化」すること。
私たちは、その過程で「映画の映像とは別の、わたしだけの映像」を想像し、創造する。

そんな坂本にも武満にも共通して言えること。
シニカルにもニヒリズムにもスノビッシュにも陥らずに純粋な魂を持ち続け、以外なまでに人義に篤い自由な人だった。
単に楽曲の魅力だけではなく、その純粋な魂が感じられるからこそ、彼らの音楽は私を惹きつけてやまない。

坂本龍一彼自身の作品はもとより、彼を通して知ったクラシックや現代音楽の作曲家、演奏家、美術家、哲学者、科学者、研究者。彼をたどって芋づる式に、実に多領域の様々なジャンルの人たちの作品や考えに接することができた。
その関係性の深さ、広がりの宇宙の中心に、常に太陽のように光り輝く彼がいた。

私自身のことを振り返ってみると、思春期のはじめの頃に出会った、自分の好きな2つの曲、ドビュッシーの「月の光」と坂本龍一の「戦メリ」、この両者が、まるで双子のように似ていると何となく感じていた。
それぞれ同じ変ニ長調という調性、いわゆる長音階や短音階とは異なる旋法や五音音階が織りなす旋律線、9度、11度といったテンションコードの響き、四度堆積和音、コードの根音以外の音をベースに用いる分数コードなど分析のツールを用いて、音楽の仕組みを知れば知るほど、両者の共通点が知識、理論として知覚できるようになったのは、ずっと後になって大人になって、自らピアノを弾くようになってからのことだけど、そのきっかけを与えてくれたのが、彼の音楽の魅力とは?この繊細で何ともいえない響きはなぜ私をとらえてやまないのか?それを知りたいという一心からだった。

「何とも言えない響き」は、コード理論や和声学というツールを得たことで、「理論づけられた響き」となる。
心のなかのモヤモヤを、いったん言語化してみることで「ああ私は、今こんなことを思っていたのだな」と客観的に把握できるように。

「何となく似ているな」と捉えた感性が、「なぜ似ているのだろう?」という疑問を育み、学びによって得られた知見を通し「構造が共通しているから似ているんだ」という理解に繋がる。
その理解を通して得られた知覚や経験が、また新たな楽曲の魅力に気づく感性を育む。
こうして、理論と感性は、車輪の両軸のごとく、分かちがたいものとなる。

西洋古典音楽(いわゆるクラシック)、ロック、ジャズ、ポップス、クラシックさらには民俗音楽といった世界中の音楽に精通し、それらを単に学問上の知識として知っているだけではなく、自らの価値観のもと、自由自在に整理統合した新たな価値を持つ音楽とした編み出し、さらにその作品は実験的であるだけでなく深い鑑賞の対象となる、そこに私が惹きつけてやまない彼の音楽の魅力がある(同じことは、彼が所属してたYMOにも言える)。

そのコード理論や和声学というツールを得たことで、私の音楽世界はさらに広がっていく。
例えばドビュッシーから影響を受けたビル・エヴァンス、ドビュッシーとエヴァンスの両方から薫陶を受けた坂本龍一と、ここでもまた点と点がつながる線が新た引かれ、つながる。

何かと何かをつなぐこと。
知っていることAと、知っていることBが繋がったときの、すなわち「回路」を形成する際の、発火するかのような快感。
その「学び」でもたらされた快感が引き金となって、脳細胞の中の神経回路が、新たな知的興奮を受け発火するニューロンと、シナプスを通してつながる神経回路。

彼から学んだ、論理性と感性のシナジー効果。
まさに、自然科学と人文科学がつながり、DNAの二重螺旋構造のような、同じような構造をたどって、真実にたどりつく回路のようではないか。

坂本のルーツとも言えるバッハ、そしてドビュッシー、ラヴェル、サティといったクラシック(特にフランス近現代)音楽を知る、音楽史への探求。
そして、グールドやミケランジェリといった演奏家たちにアプローチしていったのも彼の影響あってこそのこと。

「見知った日本の若いバンドはだいたい「ミスチル」(Mr.Children)とかを目指してやっているんですね。でも、そこで終わっているような気がする。ミスチルは、例えば、エルビス・コステロとか、元になっているネタがいろいろあるわけですが、どうもそこまで想像力が及ばないんじゃないかなと、そう見える感じがします。映画でも、もしかすると文学でも、ずっと過去の引用の積み重ねになってますよね。」
という彼の言葉通り、坂本の「元ネタ」を探す私の探究は、そのまま私自身の音楽史でもあり、芸術史でもある。

彼経由ではなく、自分で見つけたものが、実は彼も好きだったということを知った時は本当に嬉しかった。
前述のビル・エヴァンス、そしてヴァイオリニストのギドン・クレーメルといった演奏家、初期人類の進化の過程に音楽の起源を問う「歌うネアンデルタール」といった書籍。
ああ、私の探求の方向は間違っていなかったのだと。

その探究の向かう先、つながる先は単に音楽のみにとどまらず、「音楽とは何か?芸術とは何か?」という根本的な問いに至る。

繋ぐ先を求める尽きせぬ探求は、音楽以外にも岡田暁生、小沼純一(武満に関する著作も多い)らの音楽評論家、マルセル・デュシャンやマン・レイ、ヨゼフ・ボイス、(レイがマルセル・デュシャンの星形に髪を刈り上げた後頭部を撮影した写真に触発された武満の楽曲がある)
そしてCDのジャケットを手がけた李禹煥、大竹伸朗(大竹は武満の装丁も手掛けた)らの現代美術家、そしてアドルノ、ベンヤミンら哲学者、あるいは小泉文夫(芸大時代の彼の民族音楽の師)、レヴィ・ストロースら文化人類学者へのアプローチに繋がる。

失ったものは、あまりにも大きく、あまりにも重い。
されど、残してくれたものも、同じくらいに大きく重い。
それを私は、「希望」と呼びたい。
いまだ混乱と動揺、暗闇の中、底知れぬ大波に飲まれ「希望」とは呼べない状態。
しかし、いつかはそう呼べる日が来ることを信じること、それが今の私の「希望」なのかもしれない。

あまりに辛くて、今は彼の音楽を聴くことがとてもできないのだが、なぜか、弾くことならできる。
それはきっと、「彼の」作った楽曲でもあり、同時に「私の」演奏曲でもあるからだろう。
それを引き継ぎ、そして弾き継いでいくことが、私なりの哀悼、追悼の形のように思える。

彼の作った楽曲を、私の手で拙いながらも美しく弾く。
作者は命を失っても、その作品は、まるで彼の分身のように、私の指とピアノを通して音が生まれくる。

「ブラームス《間奏曲》作品119は、最晩年のノスタルジー溢れる内省的な様式に書かれた作品の演奏であると同時に、音大での教育成果を見せるため、学費を出してくれた叔母に対する御礼として演奏することも、もちろん可能だ。つまり演奏とは何かの〈再現〉であると同時に、何かの〈行為〉でもある」
〜ニコラス・クック(音楽学者)「音楽とは」より。

坂本はグールドの演奏するブラームスの間奏曲を愛し、旅先でも録音を持ち歩いていた。
私にとって彼の楽曲を弾くことは、彼の作品の〈再現〉であり、そして悲しみと哀悼を示す〈行為〉でもある。
彼の遺志により「お別れの会」は開催されない。
献花の代わりに、拙いながらも「献奏」を捧ぐ。

音を使って、並べて音楽を作るのではなく、目には見えない音の響きを感じ取ったまま、その響きの純度を保ったまま目に見える楽譜に、そして音楽に記す。
そんな坂本が残していった多くの作品は、彼の作った楽曲でもあり、私の演奏曲でもある。
それを引き継ぎ、そして弾き継いでいくこと。そのことが、心の一部が抜け落ちてしまった私にとって、今にも消えそうな淡いひとすじの「希望」のように思える。

「希望は持ちこたえていくことで、実体を無限に確実なものにし、終わりは無い」
武満は死の床にあって、こう記した。

もうすでに亡くなった作曲家の作品ではない。
今、ここで、私が弾き、聴く音楽なのだ。

いなくなったのは現世での身体。彼らの魂は、現世と時空を超えてパラレルに存在する芸術界へ帰って行ったのだろう。
自由な魂帰る場所へと。

過去と現在に存在する、まさにきら星のような偉大な芸術家たち。
彼がきっかけとなり知り得たその芸術家たち。
星をつないだ形が星座になるように、彼を中心とした芸術家のつながりに、宇宙の星座を見る。
人とは、何かと何かを繋がずにはいられない存在なのだ。

その多様にして多彩な人脈のつながりの形は、天に召されて星座の形となる。

知ること、学ぶこと。
そして未知のもの同志がつながる(つなげる)こと。新しい経験や体験などによって脳が活性化すること、それはやはり人間にとって快の刺激をもたらすものなのだろう。

単に音楽のみならず、芸術、哲学さらには自然科学に至るまで全般に幅広い造詣と教養を持ち、しかもそれらを自在に繋ぐ海図のような存在だった。
「海図は描いた、あとは自分の航海を!」と託された思いがする。

海図は天に召され、星々をつなぐ星座となり、見上げればきっといつもそこにある。

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