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2023年02月06日21:28

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タミームという男

2022年のW杯は、アルゼンチンがフランスの連覇を阻止する形で閉幕した。
あまりに有名になったメッシ戴冠のようす。
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同時に、この栄えある場でメッシが身にまとっている黒いものは何??と、多くの人が思ったはずだ。
翌日のニュースはこの話題で持ちきりだった。

閉会セレモニーから決勝戦、そして表彰式と、深夜の生中継をずっと観ていた私は、当然そのようすを目撃していた。
準優勝フランスに続いて、アルゼンチンの選手とスタッフが一人一人メダルを受け取って表彰台に上がる。
最後は、キャプテンにして決勝および大会そのものの主人公となったリオネル・メッシだ。
大会役員、スポンサー様、そしてFIFA会長らと並んで、ホスト国カタールの首長タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー氏の身長2mになんなんとする姿がある。
タミーム首長はメッシに歩み寄ると、手にしていた黒いマントをメッシに着せかけた。
これに両袖を通したメッシは、いよいよFIFA会長から優勝トロフィーを受け取ると、仲間たちと一緒にそれを高々と天に上げた。
その瞬間の写真は世界中に出廻り、当たり前のように2022年のW杯を表す代表的な場面としてのちのちまで残る画像となったわけだ。


カタール首長の行動にはもちろん意味がある。
黒いマント「ビシュト」は、カタール人が公式の場で盛装して身にまとうもので、首長が手ずからこれをメッシに着せかけた行為は、最大の称賛と敬意を表したものであるから。

だがこれには賛否両論が湧きおこった。
中継席にいた本田圭佑は、早く脱いだ方がいいのではないかと言った。
これを着てほしいというカタール側の要望には充分応えたから、と。
私の意見もこれに近い。
ワールドカップは世界規模の、人類最大といっても過言ではないイベントだ。
写真や映像で歴史に長く残る場面で、ホストといえどカタール一国のローカルな流儀を前面に押し出すのはいかがなものかとは思う。
(ましてやカタールはこれまで何ら実績がなく、サッカーの世界では失礼ながら完全に二流国だ。ちょっと遠慮しなさいよ、と感じた。)
現に、メッシは続く場面ではいつの間にかこのマントを脱いでいて、チームメイトと歓喜の渦の中にいた。(それを見てホッとしたよ。)
ビシュトはきっと、チームスタッフか大会側担当者の誰かが首長に失礼のないようにそっと預かり、ドレッシングルームに運んで行ったに違いない。
だから本当なら、表彰式の後でタミーム首長が自らドレッシングルームを訪れてビシュトを進呈し、トロフィーと一緒に皆で記念写真を撮って公開すればいいではないか、と私は思うけれど、全世界に生中継するのが目的だとしたら、それじゃあ足りないよなぁ。


ちなみにこのビシュト、製作した店も、おおよその価格もわかっている。
スーク・ワーキフに店を構え、長年王族にビシュトを納めてきたアーメド・アル・セーラム氏が、決勝戦の前にメッシ(と、フランスが優勝した場合に備えて主将でGKのウーゴ・ロリス)の身長に合わせて職人に作らせた最高級のオーダーメイド。
身にまとった際にユニフォーム(とメーカーロゴ)が隠れてしまわないよう、最も透ける生地で作るよう指示があったそうだ。さもありなん。
この情報は瞬く間にアルゼンチン野郎の間に流布したとみえて、決勝戦の翌日には、スーク・ワーキフのセーラム氏の店では、150枚のビシュトが売れたのだそうだ。
もちろん購入者のほとんどはアルヘンティーノ。
そのうちメッシと同じ最高級品は、3着買われたそうで。
よかったですね。
ちなみに、生地に使用した綿は日本製だそうだ。
メッシとロリスでは身長が20cmも違うのだけど、ロリスに合わせて作ったものはどうなったんだろうなぁ。


さて。
メッシにビシュトを着せたカタールの首長、タミーム・ビン・ハマドとはいかなる人物か。
ここからは、いやここまでもだけど、わたくしがネットを徘徊して調べて書いた、完全なるコタツ日記です。

タミーム首長の父は、前カタール首長のハマド・ビン・ハリーファ氏。
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Wikipediaより 2010年のハマド氏。
さすが現役アミール、アラブの中のアラブといった男っぷりだ

タミーム氏は2013年、33歳の時にこの父から権力を移譲され、カタールの首長となって現在に至る。
だが実はその十年前に、皇太子であった同母兄ジャーシムが、父により廃されていたらしい。
なぜこのような廃太子が実行されたかは不明だが、実は父ハマド氏も、皇太子時代に父である首長ハリーファ氏の外遊中に従兄弟と語らって父を追放して首長の座に就いていたのだそうだ。
さらにその追放されたハリーファ氏も、そもそも伯父である首長に、クーデターのような形で取って代わっていたという経緯があった。
いやはや、権力の世界って、恐ろしいですな。
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ロイヤルボックスのタミーム氏。
ビシュトはこのように、左袖は通さずに着るのが粋らしい。


W杯の開会式で、ちょっと面白い幕間劇があった。
BTSのジョングクらが公式テーマソングを歌い踊ったあとで、会場には古いフィルム映像が流れる。
砂漠の中にゴールとボールを運び込んで、砂まみれになって裸足でサッカーに興じるアラブの若者のグループ。
1970年代だろうか。
その中心にいたのは、前首長のハマド氏だった。
映像が終わると、ロイヤルボックスに深く腰掛けてはにかむハマド氏が映る。
隣にいた息子タミームが、フィルムにあったのと同じオレンジ色のシャツを取り出して広げ、父にサインをせがむ。
今日ここにこうしてW杯をホストした私の父も、何をかくそう昔はサッカー少年だったんですよという計算されたアピールであるのはわかっているが、老いたハマド氏の照れ笑いと、それに続くタミーム氏の誇らしげなスピーチに、うっかり心が和んでしまったではないか。
この父子の関係は悪くなさそうだ。
タミーム氏自身にもきっと大勢の息子がいるのだろうが、将来その子らに追放されたりする日が来ることがあるのだろうか。


さて、ここからはより本格的なコタツ日記になります。

カタールの外交政策は、一風変わったものであるらしい。
2017年に、カタールは周囲のアラブ諸国から総スカンを食らって国交断絶、孤立無援となってしまう。
どうしてそうなったのかは私にはよく理解できないが、陸続きの隣国サウジアラビアを怒らせたのが原因とか。
敵の敵は味方という論法なのか、この時にカタールは、イランやトルコと大接近する。
(逆にそれだから、イランなんて大嫌いなサウジがつむじを曲げたのかもしれない。)
国交断絶だから、輸出入もできない、飛行機も飛ばない、人も行き来できない。
目と鼻の先にあるサウジのメッカへ巡礼にも行けないじゃないか!
食糧をはじめ、ほとんど何でも輸入するしかないカタールは、大ピンチだったはずだ。
しかも5年後にはワールドカップがあるというのに!!

この危機をどう乗り越えたのか、私はこの種のことにまったく関心が向かなかったので何も知らなかった。
2019年にUAEで開かれたアジアカップでは、W杯開催に向けて強化に驀進していたカタールが圧倒的な強さを見せ、決勝でも日本を蹴散らして優勝したのだけれど、カタールはあの大会でどういう扱いをされていたのだろうか。全く記憶にない。

しかしその危機は、どうやら移民国家カタール国民の団結を促したようだ。
40歳になったばかりの首長タミームのもとで、頑張ろう!カタール!的なムーブメントが起きた。
そして、こんなステッカーが街中に貼られた。
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「我らが誇り タミーム」とでも訳せばいいのかな
元はアラビア語だった。
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「タミーム・アル・マジッド」栄光のタミームという意味らしいが、アラビア語の読めない国民(つまり移民諸氏)のために英語版ができたという経緯らしい。
原画は、国立博物館に展示してある。
カタールに着いてすぐに博物館へ行ったので、その時はこんなことを知りもしなかったが、そういわれてみると、入ってすぐの展示室でこの原画を観たような気もする。(観ていないような気もする。)

このステッカーが、スーク・ワーキフのほとんどの店、そして街中でもいろいろな店の入り口に貼ってあったのだ。
車に貼ってあるのも見た。
こないだからこのステッカー、しょっちゅう見るような気がするけど、これ一体何?
そう思った時にふと調べてみて、以上のことがわかったという次第だ。


カタール危機については、迫りくるW杯への影響という点で、サポーターの間ではそれなりに注目はされていた。
なんか周辺と国交断絶しまくってるみたいだけど、大丈夫なの?という風に。
けれど2021年になって、クウェートが仲介者となってサウジのご機嫌が好転し、それからジワジワとアラブ諸国とも仲直りしていったようだ。
アラブ世界最大のキーマンであるサウジのムハンマド皇太子は、W杯の開会式にもお出ましになり、タミーム首長と共にニッコニコで写真に収まっていた。
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右がムハンマド皇太子37歳。
この人、どの写真を見ても満面の笑みだ。そういう方面のコンサルでもついているんだろうか。それとももともとそういう性格の人なのか。

サウジのムハンマド皇太子といえば、女性の自動車運転を解禁したり、経済改革を進めたりといった若手開明君主的なイメージもあるが、ジャーナリストのカショギ(ハーショグジー)氏殺害を直接指揮した疑い濃厚という報道もあり、今後かの国がどういう方向に進むのかは全く分からない。

ちなみに、トルコで殺されたカショギ氏は、ジャーナリストの木村太郎氏が伝えるところによると、有力な武器商人の甥であり、原理主義や過激派、テロ組織などと呼ばれるようになった「イスラム同胞団」のメンバーである由。
サウジがカタールを敵対視した背景には、カタールがこのムスリム同胞団を支援したから、という理由も大きいらしい。

そしてカタールの外交という点では、アフガニスタンのターリバーンとアメリカ政府の間を取り持ったという出来事があった。
私はTVのドキュメンタリで観たが、アフガニスタンの民族服にターバンとサンダル、黒々とした鬚を生やした男たちがドーハの高級ホテルにドカドカと集団で現れ、スーツを着たアメリカの高官たちと長いテーブルをはさんで向かい合い、勝ち誇ったように何事か喋るという場面には、何とも言えないおぞましさを感じたものだった。
この会合が開かれるにあたっては、アフガニスタン政府は全く蚊帳の外に置かれ、そしてその数か月後には、ターリバーンがアフガン全土を制圧してしまったというわけだ。
あの高級ホテルの場面、画面の奥の方には、この会合に携わったカタール人たちの白い民族服トーブの姿が大勢映り込んでいた。

ついでに云うと、日本の在アフガニスタン大使館も、今はカーブルではなく、カタールの首都ドーハに臨時事務所を開いている。
カタールは小国ゆえに、石油と天然ガスを武器とした国の舵取りには、そうとう知恵を絞らなければいけないだろう。
ちょっと歩けばアラブの雄サウジアラビア、天然ガス田を共有するペルシャ湾の対岸には大国イランがある。
地政学的に、愚かでいてはやってゆけない国なのだ。


タミーム首長の、カタール国民・住民からの実際の支持率がどういうものなのかは知る由もないけれど、このやり手で野心家でちょっと危うい若い元首がW杯という超特大イベントを成功させた後に今度は何をやるのか、たまには新聞でそういうページにもちょっと目を走らせておこうと思う。



見よ、このロイヤルボックス。
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左から、前首長ハマド(タミームの父)、開会の口上を述べるタミーム首長、FIFA会長インファンティノ、サウジ皇太子ムハンマド。
さて、この中で一番腹が黒いのは誰でしょう?
この一時間というもの、世界の中心がここにあったのは間違いない。


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